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あなたあっての世界


「自分で自分を縛っているだけ」

「あんたが勝手にそう思ってるだけだ」


いやぁ、核心ついてます。
でもこれがハートに移行すると全く異なって観えてくるものが。


『未熟なものよ』

「誰が?」

『誰がでなく、あなたハートしか世界にはいない』

「常識やルールを掴み、私を縛り付けるも解放するも自由。変化しかない現象において決めつけは幻想でしかない。心はひとつ。つまり私しかいない世界で、未熟だと決めつけてるのは誰だ?」

『・・悟るしかない』

「・・誰が?」

『本人が』

「どのように?」

『動いていたのは自分ではなかった。生まれてこのかた、ずっと自分はハート聖心に居たと』



ここで述べているのは精神や思想や想念などではございません。

もちろん、あなたの映写機である仙骨や全体である腹(御霊)あっての現象界。聖心だけでは生を感じることは不可能。

思考はあなたではありませんが、あなたのものである思考なくとも同様です。

中心みなもと遠心思考

ですが、中心と結ばれると円相も広がります♡

真我世界自我個人
あなたが世界💛

それらもすべてはひとつ
一者へ。

宇宙はひとつしかございません。

なぜなら、単独ではあなたは・・いえあなただけでなくすべての存在がここ●●に存在することすら不可能ですから。

全愛ですね(^^♪


🎵🎵🎵


あなたは思考でなく、聖心ハートである。
あなたは聖心ハートにいる。

これを今のうちに知っておくといい。

できればただ在ることで。
その繊細かつ力強いエネルギーを感じるとなおいいだろう。

理解しておくといい。

なぜなら。
それがそのまま世界を救うことになるからだ。

大切なものは見えないもの。
見えないそのカラダの仕組みを知ることでその身体をも救うことになる。
あなたを救うことになる。

聖心。
つまり。

本当のあなたは誰にも傷つけられやしないし、現れたり消えたりするものではない。

また。

あなたがそうであるのなら。
他の者もそうなのである。

他者のことに向き合うことであれ、自分のことに向き合うことであれ、鏡の世においてそれらはすべて内観することにつながる。事実。あなたの人生に意味を付与できるのは世界であなた一人だけ。つまりあなたは常に自分としか向き合えないのであり、瞑想とは日常にこそあるからだ。

観念のついた心。
純粋無垢なる聖心。

現世うつしよにおいて。
両者はひとつでありつながっている。

肉体を失えば心だけになるだろう。

落としきれなければ。
観念を浄化しきれなければ、という意味だが。

あなたは次をどう生きるだろうか。

よって。

世界宇宙に心はひとつだけというのである。

目に見えているものは実在ではないが。
夢戯言でなくあなたを知るための現象としてある。

現象としての色。
実在としての空。

両者もまたひとつでありつながっている。
誰ひとり生まれても死んでもいない世界。

色即是空。
拈華微笑。




「人間では・・人間ではなかったのですね」

『もちろん人間を楽しんでもいい。まだ多くはそのように在る。もっとも人間らしい人間となって世界が救われていたことに気づくもいいだろう』

「肉体を失えば私たちは一体何処へー??」

『安心なされよ。境界はどこにもない。この世もあの世も陸続きと思っていい。なぜならあなたはただ観てるだけだからだ。思考の物語であれ中心以外の変化であれ、観ることだけが続いている👀』

「中心から観ながら、霊界や幽界へ変化するだけ?👻」

『さて、あのおじさんもそろそろ書く役割の頃合いだろう。本当のあなたは霊界にいまもいるわけだが、詳細はそこへ行ったことのある御方へ現してもらうといいだろう😆』



ではまた👶👏✨

愛ゆえに愛が愛に愛という光を・・。 あなたにいつも拈華微笑💖