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自己紹介②(中学校) 

(このnoteの内容は、無料部分だけで完結します。)

中学受験が終わってすぐに、スーパーファミコンを買ってくれた。
同じクラスだった友達が受験が終わってからは、毎日のように遊びに来てくれた。実家に住んでいた頃、友達を家に呼んだのはこの時期だけだった。

中学校は地元でもそこそこ有数の中高一貫の男子校に進学した。
第一希望ではない学校だったにせよ、今客観的に思うと当時は3年間勉強に捧げるのがデフォルトの中学受験において1年間でここまでできたのであれば、上出来だと思う。後半ブレーキがかかるのがあと1ヶ月早かったらこうは行かなかっただろう。

この時、母親はどういう気持ちだったのだろうか。
ひと段落したから、ある程度放任しようと思っていたのだろうか。
東大・慶應に進学させるために、もうひと頑張り、と思っていたのだろうか。

どちらかわからないが自分自身は、いい成績を取っていい大学に行くために頑張ろう。少なくても入学当初の私はそう思っていた。
授業も真面目に受けたし、復習・予習もしっかりやった。

初めての中間テスト。全体順位は「中の下」だった。

もちろんトップを取れるとは思っていなかった。
だけど、これだけ努力してしたから数えたほうが早いなんて。

ショックだった。

私以上にショックを受けた人がいる。
そう、母だ。

「お前は才能がないから、人の3倍やって一人前」
「とにかく勉強しろ」
「バカなんだから、遊んでいる暇などない」

ショックを受けた母は、私にそう言いつづけて、門限を設定し、勉強時間を管理し、生活を支配していった。

少しでも怠けていると暴力暴言が飛んできた。
買ってもらったスーパーファミコンは、半年足らずで取り上げられた。

今ならわかる。
自分の息子の可能性を信じたかったのだろう。
可能性を信じて努力し続けて欲しかったのだろう。

こんな状況だったから、中学校でできた友達を家に呼びたくても呼べなかった。

いや、呼べなかった理由はこれだけではない。

仲良くなった友達の家に遊びに行ったら、皆家が大きくて部屋も広くて綺麗で、出てくる料理やお菓子も見たことない高そうなものが出てきて、子供ながらに経済レベルの違いに気づいてしまい、なんか引け目を感じてしまったのだ。

中1の秋くらいには、あれだけ努力して入った学校が自分にとって場違いだと思っていたし、思春期に差し掛かり、なんでこんな男ばっかりの学校に進学してしまったのだろう、と後悔していた。

そんな頃、地元の駅近くの商店街で地元の中学に進学した友達にばったりと会う。
友達はみんな小学校の頃と違い、髪を染めて、ピアスを開けて、アクセサリーもたくさんつけていた。
なんかそれがカッコよく見えて羨ましかった。

私立の進学校に進学した私に気さくに話しかけてくれて、元気ない自分の話を屈託のない笑顔で聞いてくれた。
そしてこう言ってくれた。
「居場所がないなら、俺らは大体誰かこのゲーセンにいるから、ここに来ればいいでしょ」
そう言って、小学校の違う同中の友達に自分のことを紹介してくれた。

それ以来、私にとって、門限はあってないようなものになった。
最初は怒られることが怖かった。だけど徐々に怒られても気にならなくなっていった。
たまに食事を出されなかったり、家を閉め出されたこともあったけど、誰かが家に匿ってくれて、家にあるスナック菓子をくれたりした。

そんな状況だから当然、成績も下がる。
努力しても真ん中より上にいけない人が努力しないと、学年ワースト10まで下がった。

勉強だけでなく、生活の全てが不規則になった。
食生活が乱れた。家でご飯を食べることが少なくなったから、カップ麺とスナック菓子ばかり食べていた。私はどんどん太った。顔中重度のニキビだらけになった。世にも悍ましい姿になった。当時の写真は全て捨てた。

その頃、学校生活で変化が起こる。

私は格好のいじめのターゲットになった。

勉強できない。デブでチビ。不細工。いいか悪いかの話ではなく、中高一貫男子校でこんなのがいたら、悪目立ちしていじめられるに決まっている。

最初は、学校の先生に相談した。
しかし、普段真面目に学校生活をしていない生徒の相談になど乗ってくれるわけもない。
いじめがきつかったので、これまでの経緯があるにも関わらず、恥を忍んで母親にも相談した。
母は、「負けるが勝ちだから気にせずに放っておきなさい」と言った。
まるで話にならない。

学校も家庭も頼ることができないなら、自分で解決するしかない。

僕が選んだ方法は、自分が強くなる、
もしくは主犯格がやり返す気がなくなるくらい徹底的にやり返す。

そのどちらかを満たすために、2年生の途中からボクシング部に入部した。

これまでちゃんとスポーツに取り組んだことがない私が、生まれて初めて真剣にやったスポーツがボクシングだった。
それはキツイ・・・

運動神経が悪く、持久力もない。
だけど、いじめに遭わないように強くなりたいから必死だった。
そんな僕に対して、厳しく・優しく先輩やOBは教えてくれた。
同級生も仲良くしてくれた。

中3になると、徐々に筋肉がつき始め、80kg以上あった体も50kg台前半まで締まった。
ちゃんと家に帰るようになり、規則正しい生活に変わっていった。
皮膚科に通院するようになったから重度のニキビも治ってきた。

相変わらず勉強はできないままだったけど、以前よりは授業を聞くようになったので、ワースト10からは抜け出した。

だけど、いじめは相変わらず続いていた。
むしろ、エスカレートしていた。

同じ学年のボクシング部の友達がいる時は何もされないけど、一人でいるといじめに遭う。そういった状況だった。

そんな中、中3の秋頃、事件が起こる。
席替えして、私の後ろの席にいじめの主犯格が座ることになった。

後ろから授業中も蹴る・殴る。おそらく教師も気づいていたけど見て見ぬ振りだ。
しばらく我慢していたが、これも毎日のことだと思うと、気が遠くなる。

ある日の授業中のことだった。
プリントを配っていたので、わざと落として「拾え」と言ってきた。

以前も同じことをしてきて、拾ったところを思いっきり蹴られた。
今回も同じことをしてくるだろう。

この時、瞬時に考えた。
今でも鮮明に覚えている。

もし、ここでトラブルになって高校にいけなくなっても、別の高校に進学すれば、大学には行ける。
進学先を選ばなければ、今の学力なら高校受験はどうにかなる。
ここで我慢してあと3年半いじめられ続けるくらいなら。
今行動するしかない。
決断は早かった。

(ここまで興味を持っていただき、ありがとうございます。もし私の話に興味を持っていただいて続きが気になるとしても、有料部分は読まなくてもこの次の展開に何の影響もありません。そのようにこの続きを書いていきます。有料部分には普段他人に見せることのない僕の心の醜い部分が書いてあります。グロテスクな表現・非常識な思考も含まれます。もしそう言ったものが苦手な方は、間違っても読まないようにお願いします。)

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