天牌別伝 三
三
三國健次郎は、たちのぼる紫煙を見つめていた。
少しずつ形を変えながら、煙は上へと昇っていく。
いつの頃からか、対局中に煙草を喫わなくなった。コンマ一秒でも、麻雀以外のことに思考を奪われたくなかった。それだけの理由だが、いまは対局の機会もなくなった。
昨年の『天狗』決戦で敗れた三國は、代打ちを引退していた。現在は、山田陽一が黒流会の筆頭代打ちである。
井河拓真も、成長していた。ゆくゆくは、山田とともに黒流会の二枚看板になるだろう。
「失礼します」
ドアをノックして、八角五郎が入ってきた。
三國に付き合い、八角も代打ちを引退した。まだ現役で通用するだけの力は充分にあるが、若い者に活躍の機会を与え、自分は補佐に回りたいのだという。ふだんから、八角はなにかと山田や井河の面倒を見ている。厳しそうな見た目とは裏腹に、そういう気遣いをする、心根のやさしい男だ。
「車の用意が、できました」
「行こうか、八角さん」
煙草を灰皿で揉み消し、三國は立ちあがった。
「へい」
二人が後部座席に乗りこむと、車は赤坂へむけ出発した。
「……軽井沢は、始まったころですかね」
「そうだな。まあ心配はいらんだろう。山田は、黒流会を背負うにふさわしい打ち手だ。いざとなれば、井河もいる」
「まあ、あの二人に関しちゃあっしも信頼してますが……今日は、ほんとにあっしも参加していいんですか?」
「もちろんだ。新満氏だって、きっと八角さんの麻雀が見たいはずだ」
「……わかりました。久しぶりで、腕が鳴りまさあ」
「フッ。俺もだ」
土曜の昼だけあって、都心の交通量はふだんより多い。
スモークフィルムが貼られたウィンドウを少し下ろし、三國は煙草に火をつけた。
* * *
開始早々、対面がリーチを打ってきた。
少し目を細め、親の山田陽一は対面の河を見た。五巡目で情報は少ないが、見えるものはある。
三國の引退後、黒流会への対局の申し入れは増えてきた。
侮られているのか。値踏みされているのか。思ったが、感情の揺れはなかった。それだけ、三國の存在が大きすぎた。自分はただ、黒流会の代打ちとしての任務を果たすだけだ。
上家が、二枚切れの字牌を切った。山田のツモ番。テンパイ。山田は追っかけリーチを打った。宣言牌は、無スジのドラである六筒だ。三人の表情が、急にこわばった。
(フッ……。三國さんなら、この別荘ごと凍りつかせていたかもしれないな……)
下家が、大きく息をついて共通安牌を切った。
対面が牌山に手をのばした。額には、汗の粒が浮かんでいる。ツモ切り。ふるえる手で、河に四筒を置いた。
「ロン」
裏ドラが一枚乗ったが、打点は変わらない。
「二四〇〇〇」
持ち点ゼロは、トビという決めだ。一回戦は、東一局で終了した。
――次の対局まで、五分間のインターバルが取られた。
「お疲れ様です、ってのも変ですかね」
井河拓真が、湯気をあげるおしぼりを差し出してきた。受け取って、山田は手を拭った。
「疲れてはいるさ。黒流会の筆頭代打ちというプレッシャーは、大きいからな」
「山田さんでも、プレッシャーを感じるんですね」
「入星さん、三國さんと引き継がれてきた役目だからな。俺は、黒流会の看板だけでなく、二人の名前も背負っている」
山田の言葉に、井河の表情は引き締まった。
「井河。ゆくゆくは、おまえも黒流会の代打ちとして、様々な対局を経験することになるだろう」
「はい」
「そしていずれは、おまえが黒流会の筆頭代打ちになるかもしれん」
「…………」
無言のまま、井河は唇をきつく結んだ。山田は言葉を続けた。
「いつか来るその日のために、今日は俺の……いや、黒流会の麻雀を見ておけ。その目に、脳裏に、焼きつけておけ」
「はい」
力強く、井河が答えた。いい目をしている、と山田は思った。
係の者が呼びに来た。二回戦が始まるようだ。
井河の方はふり返らず、山田は卓へむかった。
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