父の名言?
父は私が25のときに52で亡くなった。
スピ的に見ると2552というミラーナンバーのエンジェルナンバーだ。
2552には下記の意味があるらしい。
※色んな解釈があるけれど、目に留まったものをご紹介する。
「豊かになるためには、他人が幸せになることを優先してください」
ほう、、、なるほど。
父の死後、周囲のご意見優先の見合い結婚をして元日生まれ夫婦となった。
その時は縁を感じたわよね。
12年で終りを迎えた縁ではあったが、ふたりの子どもに恵まれた。
今では両親が共に元日生まれというネタになっている。
それもいいじゃないか。
あの時、この時、と振り返るとカオスな世界に突入して動けなくなる苦しみや苛立ちで自分を卑下する時もあった。
ウンザリ期間を無気力に過ごし、それに飽きてきた頃、根が単純なのかポジティブなのか根気がないのか不明だが気づいた。
、、、人生は大なり小なり選択の連続だ。
選択の際にあえて闇に向かおうとする勇気なんぞ私にはない。
稚拙であっても世間知らずであっても、少し狡猾な思考の時でも、
自分に一番明るいと思える方向を選んだはず。
だからどれも失敗とは思わない事にした。
言い換えれば経験、学び。
簡単に言えば外食が当たりだったか外れだったかに似てる気がする。
ここに辿り着くのに長い時間を要したけれど、過ぎてしまえば闇とか泥とか称される事すらも懐かしい。
思い出はスィートってのが腑に落ちる。
そこに辿り着いたのが大切。
※大切ってWikipediaで検索したら本来の意味「大いに迫る」「切迫する」を語源とする和製漢語で意味は「急を要する」、これが転じて「重要な」、さらにそこから派生して「愛しい」、だそうだ。
大切を愛しいに言い換えてみると自分が大切にしているモノの違った側面が見えるかもね。
『こうかい(後悔)』をひっくり返すと『かいこう(邂逅)』だな、という勝手な持論。
巡り合ってきた人や事柄を悔やむのはもったいなさすぎる。
この先、どんな邂逅、そして航海・冒険が待っているのかワクワクする。
前回の記事であれこれと考えるのが好きな訳ねと思われた方もいるだろう。
そうなんです。考えるのが好きなんです(笑)
いちいち知りたいんです。
自分になりに解釈して納得したいんです。
落ち込んだとしても、傷ついたとしても、知ることが自体が喜びなんです。
だって思うようにコントロール出来るのは自分自身。
簡単だから。
優しさと易しさ。
同じ音を持つこの言葉はどちらも好きな言葉であり目標。
高校を卒業して都会での初めてのひとり暮らし。
家事には全く自信なし。
だが不思議なことに時間はかかるが母が整えてくれていた暮らしと似たような事が出来る。
原点にしていけばいいだけなので苦にならない。
見て覚える、というのは割とすごいと思った。
となると学校以外では好き勝手に過ごす時間がたんまり。
視覚に響いた漢字の成り立ちを持論で紐解いていくとか、
気に入った歌の歌詞を深読みしてみるとか、
立ち読みした本の一文に喰らいついてみるとか。
考えるのと書くのが好きだから退屈しない。
漢字は特に人部・言部の成り立ちに面白みを感じていた。
すんごい有るの、これが。
哲学書を理解も出来ぬまま読み進めるより楽しい。
それをレポートの如く父に手紙をしたためる。
信、偽、記、語についての解釈なんて大興奮で書き記す。
楽しい日々のエピソードと一緒にね。
そして無意識に書いていた結びの言葉、「東京に出してくれてありがとう!」
父は私からの手紙をいつも「請求書」と呼んでいたと後々で知る。
これは名言だと思っている。
なんか深くない??
そして、だ
毎月の仕送りとは別に現金書留が届く。
父の名前、母の筆跡で・・・。
母の筆跡というのが実は怖いんだよね〜。
それについては次回、父の名言2で書かせてもらっちゃおう。
無理やりタイトルに到達させてる迷路のような内容ですが
フォローしてくださってる方にちょっとでもお役に立てたら嬉しい。
化学反応的な作品を創作されたときは #蓮野台 って入れてもらえると読みに行くね。
では、また。
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