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デンマークにおけるフレキシキュリティ政策の功罪

実は昨年の秋に、私が勤務している大学でリストラがありました。
職員(事務の人)だけでなく教員(講師や教授とか)も対象にして、かなりの額の人件費を削減する、けっこう大規模なものでした。

結論から言うと、私はなんとか生き残ったのですが、そのリストラの経緯たるや、なんというかデンマークの実態を垣間見たというか、あぁこれがいわゆるデンマークの「フレキシキュリティ」というやつか、と思いました。

フレキシキュリティとは

フレキシキュリティ(Flexicurity)というのは、1990年代に当時のデンマーク首相が言い出した造語です。「柔軟性 (flexibility)」と「安全性(security)」をつなげただけですが、「積極的な労働市場政策を備えた福祉国家モデル」であるという触れ込みです。が、内容的には、べつに目新しいものではありません。

まぁ小手先の言い換えをしただけでドヤってその言葉をいつまでも使い続けるあたり、視野も世間も狭い小国デンマークらしい気がします。その一方で、このコンセプトを漠然と知っていても、この言葉を知らないデンマーク人も結構います。

デンマーク政府の説明によると、「労働力の容易な移動」と「手厚い社会保障」 からなる、「失業者へ権利と義務を課す積極的労働市場政策」らしいです。デンマーク政府の言い分を鵜呑みにして、「デンマークって、やっぱ進んでるー」と、北欧礼賛者が言ったり書いたりしているのをたまに見かけますが、どうだかなぁと思います。

このフレキシキュリティ政策は、離職・転職がしやすいという一方で、「雇用者側が被雇用者を解雇しやすい制度」でもあります。

リストラされても雇用者から退職金が付与されない場合もあり、国から失業手当をもらうためには、A-kasseという掛け捨て失業保険に、被雇用者自身が事前に加入しておく必要があります。

まぁ、ある意味、従来の日本(現状は知りません)と比べると、確かに進んでるのかもしれません。人手が少ないデンマークでは、能力や資格がある人なら転職もしやすいし、民間企業ではよくあります。でも、それは多かれ少なかれ、どこでもそうなんじゃないでしょうか。

パワハラの温床となっている場合も

話を弊大学でのリストラに戻すと、大学経営者層(うちは公立大学ですが)から、いきなり「リストラするぜ!」という通達が教職員全員にあったのは昨年の夏休み明けです。それも、「2か月以内にカタをつけたい」とのお達し。

寝耳に水でしたが、大体の教職員は薄々感じてはいました。というのも、うちの現経営者層、ここ数年、無駄使いが非常に多かったからです。ようは、彼ら経営者層の責任なのですが、そんなことにはお構いなしです。

そして、リストラや解雇の理由は、極端な言い方をすると「何でもいい」ので、パワハラの温床となっている場合もあります。

うちの学部では、年金受給開始年齢に近い(なんならそれを越えている)古参の研究者たちが真っ先にターゲットにされましたが、それに加えて、ハイパフォーマーの優秀な研究者のひとりがリストラされました。ピーターといいます。彼は、まだ50代前半のデンマーク人教授で、教育面でも人気のある講座を担当し、論文出版も積極的に行い、多額の外部研究費をゲットしている人です。正当な理由もなくリストラ対象になっただけでなく、即日解雇に近い状態でした。

この発表があった時、同僚の多くは、「え、なんでピーターが…?」と、困惑していましたが、私は理由を知っています。うちの学部長が、彼を疎ましく思っていたからです。ピーター本人から、学部長から執拗なパワハラを受けている話も聞いていました。これについては、またいつか別記事で書こうと思いますが。

学術職は「つぶし」がきかない

デンマークの被雇用者の多くは、職を失ってもすぐに新しい職に就ける(と思っている)ので、リストラに対して抵抗感が少ない、という意見も聞きます。デンマークが誇る大企業、マースクの本社 IT 部門に勤めている知人は、「リストラなんて、うちの職場じゃしょっちゅうある」と言っていました。

しかしですね、学術職の転職ってそう簡単ではないのですよ。実際、うちの大学でリストラ計画の発表があった際、デンマーク人の同僚達も戦々恐々としていました。

学者というのは専門性が高すぎて、つぶしがきかない仕事です。仕事を変わる場合は、たいてい他の大学へ移って(自分に合うポストの公募がタイミングよくあって、なおかつ採用されれば、の話ですが)、同じ分野で同じように教育・研究の仕事を続けるのが常です。

博士号を保持していると、民間では over-qualified と受け取られることもありますが、その学歴自体は大した問題ではありません(それにプライドを持っている人もいますが)。むしろ問題は、大学業界で長い間、研究・教育をしてきた「経験」が長ければ長いほど、他業界への移動が難しくなります。

なので、学術職から異業種に移るなら、エントリー・レベル(講師/ Lecturer/ Assistant Professor - 呼び名は違えど同じ職階です) で若手のうちに、さっさと大学業界から足を洗ったほうがいいでしょうね。

外国人労働者にとってのフレキシキュリティ

今回のリストラで知ったのですが、リストラ対象の決定が、ほぼ上司の好き嫌いで決まり、退職勧告から解雇までの猶予期間が短く、退職金が極めて少額(または皆無)であるのに驚きました。私は自国イギリスのリストラ事情を周知しているわけではありませんが、それでも、イギリスと比較すると、デンマークのフレキシキュリティは、雇用者側にかなり有利に働いている気がします。

フレキシキュリティの弊害を一番こうむるのは、労働ビザで働いている外国人労働者です。年収・肩書・職種を問わず、仕事を失って転職先が見つからなければ、デンマークからの退去を余儀なくされます。これは他の外国と同じです。

なので、外国籍(非デンマーク人)で学術職についている場合、注意が必要です。リストラにあったとか、そうでなくても現職が嫌だという場合で、だけど大学で研究・教育の仕事は続けたい、という非デンマーク人の研究者は、デンマークを去るのが現実的な選択肢です。デンマークは他国にくらべると大学の数自体が少ないうえ(小国だから)、下位の大学だと、デンマーク語で教えられる語学力が必須である場合が多いですから。

当然のことながら、ヨーロッパの近隣諸国やイギリスに移る人が多いですが、アメリカやアジア出身者は自国に帰る場合が多いです。

労働ビザで働いている外国人にとって、デンマークでのリストラ過程と短い解雇通達はかなり不利です。家族がある人なんかはもっと大変でしょうね。

デンマークは「デンマーク人にとっては、幸福な国」だと思います。しかしながら、外国人にとってはそうでない点も多いです(まぁどこの国でもそうですが)。うわついた北欧幻想を抱いて来るのは、やめたほうがいいです。


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