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いつもと違う8月31日

例年、この時期は夏の終わりにもの悲しさを覚える子供や学生が多いのだが今年は少々勝手が違う。
私も(一応)現役の大学生なのだが今年の夏季休暇は9月から始まり例年よりも短い期間の休みになる。
この記事を書いている8月某日もリモートでの授業があった。個人的には夏を満喫できそうにもないがそれはほかの多くの人にも言えることだろう。

ふと思い立って今年の自殺者数の推移を調べてみると今のところ去年よりも少ないようだ(警視庁発表の速報値より
それでも多くの人が自ら命を絶っているわけだが。

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普段のこの時期なら、限界を迎えた誰かが準備をはじめて、それを止めようと偽善的なやさしさで動く人や真剣に彼ら彼女らに向き合うために動く人であふれる。
この記事を書いている私はたぶん偽善者に当たるのだろう、去年同じ時期に書いた記事なんて今思えば自己満足以外に何があるのだろうか?とも思えてしまう。
正直な話他人の人生なんて知ったことではないし自分のことで手一杯だ。
何より自分はその人の人生を受け止めるほどの勇気も度量も持ち合わせていない。

だからあえて言い逃げさせてもらう「お前の理性は壊れているぞ」と

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私は基本的な思考として「だいたいの行動は自己責任」という雑な考えの元生活しているのだがこれは当然自分とは直接無関係な他人にも適応される。
その人の決断を止めるなら自分にもそれ相応の覚悟や反論を持つべきだし、根拠のない制止は野暮ったいと考えている。
だから私は誰かの決断を止めることはしない。


ですが、自ら強い意志をもって終わりを考えてる人はこんな記事を読まないだろけど、仮に読んでいたとしたらかなり迷いがある状態だろうからここであの理性発言のもとになった自分の経験を述べることにする。
去年の記事でも書いた通り、私はたびたび憂鬱になり日本引いては世界の滅亡を願うのだが自殺を考えたことも一度や二度の話ではない。
で、なぜ自殺を考えた私が今こうして記事を書いているのかといえばそれは死ぬ勇気がなかったからにほかありません。ある意味理性のブレーキが働いたという事になります。(ただ単に臆病なだけですが)

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ここで私が言いたいことは

「取り返しのつかないことをするなら迷うな。迷ってるなら立ち止まれ。」

という事です。
迷いがある状態で行動を起こすと大体ろくなことになりません。とりあえず止まれ、やるなら迷うな。目標を狙い定めて迷わずに突っ込め。

まあ、それができたら苦労はしませんが。私もできないし。
できないから、迷うことはあっても考えることだけは続けていけたらいいなぁ。

本当に我ながら雑な人生である。雑な文章である。

#8月31日の夜に

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