見出し画像

アボカド農園のゆめ

スーパーで買ってたべたアボカドのタネを水にひたして数週間、ある日突然ぴきき、と大きなタネがまっぷたつに割れて中からにょきにょき、とかわいらしい小さな芽がでてきた

これがわたしのお気に入りの観葉植物、アボカド。オーガスタや、パキラやガジュマルも好きだけれど、いちばん好きなのはスーパーで買ったアボカドなのだ。

実に安い女である。しかしどうせ怠けてダメにしてしまうくらいなら、たべたついでに育てるぐらいが私にはちょうど良かった。

だってね。ええ、うそでしょう、そんなに?と言いたくなるほどのスピードでアボカドの芽は育つ。ぐんぐん育つ。細いペンよりもずっとほっそりとした茎なのに、後先考えずどんどん上を目指してのびるアボカドは、いつも危なっかしいほどだ。だから夢中になって育てた。

気が向いたとき、美味しくいただいたアボカドのタネを、きれいに洗って水につけておく。中には不発のタネもあるが、2つに1つくらいの確率でわたしのアボカドは芽を出してくれた。

そんな生活を続けていたら、家の中にアボカドの種がいくつも芽をだすような緊急事態に陥った。あっちもこっちも発芽である。あわててコップやら、タッパーやらを引っ張り出して、無事ぱっくり割れることに成功したアボカドのタネを祝い、一つ一つのタネにお家を用意した。

狭い我が家に小さなコップやタッパーが陳列され、謎の種がいくつもセットされてあるので、偶然家にきた友達にはこの異様な光景に毎度「なにこれ」と不審がられた。

昨日より背が高くなったアボカドの芽を、今日もパチリと写真に収める。ぱらぱら漫画のように、1日ごとのアボカドの成長を眺める私は、たぶんにやにやしているだろう。毎日目に見えるほどのアボカドの成長が、まぶしい。

右にゆれたり、左にゆれたりしながら、アボカドはまだまだ育つ。あんなに小さかった葉が、もうアボカドの実よりも大きなサイズになってしまった。背丈はわたしの膝小僧を超えている。ほそ〜い茎に、どっしりとした葉っぱ。そのアンバランスさがおかしくて、愛くるしい。美しい葉脈をなでて、ご褒美のように霧吹きをしゅっしゅとあてた。

あんたねぇ、葉っぱだけじゃなくて茎にも栄養あげたらどうなの。と思わず言いたくなってしまう。アボカドからすると背丈と葉の大きさこそ正義のようで茎の太さにはどうも無関心だ。

このまま行ったら背だけデカくても倒れるからね。

学生時代、友達との遊びを振り切って単語帳ばかり眺めていた自分が頭にちらつく。アボカドには好きなように生きてほしいけれど、できれば苦労して欲しくないと不安になった。凄まじいスピードでアボカドはぐんぐん空を目指して突進する。

ある日アボカドが大きくひだりに反れはじめた。
なんとかバランスを立て直そうと必死なようだが、苦戦しているようだ。

ほら〜、こうなるとおもったよ。
だから茎も太くしたらって言ったのに。

ぽっきり折れてしまうアボカドを想像して、なんとか育て親としてできることはないだろうかと考える。できれば力になりたい、このアボカドはまだまだ成長できるはずである。

しかしあまりわたしが干渉しすぎるのも、よくない気がした。どう助け舟をだすべきか頭をかかえる。

悩んだ結果、私は3つのアボカドの芽を寄せ植えにした。
家の中にアボカドの芽が何個も発芽しているため、背は高いが細くて今にも折れてしまいそうなアボカドの茎3つ選別し、それらを三つ編みにし、一本の木にしたのだ。

するとアボカドは先日まで絶体絶命だったのに、お互いを支え合う形でふたたびと真上に伸び始めた。

3つ合わせてもまだまだ細い、アボカドよ。
行けるところまで、自力で行ってごらんなさい。
まだ子供もいない私だが、気分はベテランママの気分だ。

いつかアボカドが実をつけるほどにおおきく成長することを想像する。ほっそりした茎も、私が抱きつけるほどの太さになったりして。もしかしたらお腹いっぱい食べれるほどのアボカドを実らせてくれるかもしれない。

このままアボカド農園の主になるのも楽しそうだな、と思わずアホな想像をする。

胸を躍らせてアボカドについて調べてみると、タネから実をつけるまで、なんと10年もかかるそうだ!ももくり3年、かき8年、アボカド10年かあ。

農園でたらふくアボカドを食べているが私のイメージは、もう霞んでいた。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?