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あさりの味噌汁で彼の心を

なんか、なまぐさい。

私は血の気がひいて、変わりに背中から脂汗がどっと出た。
たたたたっと台所に駆け寄り、がばっと開けたシンク下の戸棚には、昨夜仕込んだ鍋から異臭が漂っている。

いや、漂うなんてぬるいものではない。この鍋が明らかに臭いの震源であり、私の皮膚や鼻が、これは緊急事態です、と本能レベルで危機を察知した。この鍋の蓋をとったら、どんなお腐れ神がいるのだろうと想像し、つばを飲む。

おそるおそるパンドラの箱を開け、思わず彼と二人で鼻をつまんだ。そこにあったのは黒々とした大量のあさりであった。

昨夜の私は、明日彼が家にくるのが嬉しくて浮かれていた。
浮かれた私は、なぜかあさりの味噌汁を彼に振る舞うことを閃いたのだった。

あさりの味噌汁といえば、お寿司屋さんでいただいたり、料理好きの主婦さんがつくるイメージ。私が一番お世話になっているのはコンビニのインスタントである。

あの味は、控えめにみても神秘である。一口啜れば気持ちがほっとするのに、徐々に内側からエネルギーがむくむく湧いてきて、心も体も大満足のあじ。

完全無欠の品物であるかと思ったが、一つどうしても許せないのがあの「じゃり」とする砂である。あの「じゃり」ひとつで美味しいあさりの味も感動も帳消しだ。

しかし家であさりの味噌汁をつくれば、彼は「うおお」「すげえ」「お店みたい」と感嘆の声をあげて、よしよしと褒めてくれること間違いなしだ。

彼が喜び、そしてたっぷり褒めてくれることを満足するまで想像した後、私は足取り軽くいつものスーパーに赴き、人生で初めてあさりを買った。

せっかくあさり料理を振る舞うのだから、完ぺきに砂抜きをして見せようと、夜な夜なネットで砂抜きについて調べまくった。全くもって無知なため、あさりの記事を何個も何個も飛び回り、どうにかこうにか砂抜きが一通り終わった頃には疲労困憊である。

ご存知の方も多いかと思うがどうやら砂抜きの仕組みは、海水と同じ濃度の塩水を作り、カパっと呼吸をさせることで砂を吐き出させるというものらしい。

この石ころのようなモノが本当に食べられるのだろうか、不安を抱きながらも砂抜きを無事終えたわたしはぐっすりと眠ってしまい、なんと翌日にはすっかりあさりのことなど頭から抜けてしまっていたのである。

そしてさあて料理でも振る舞うか、という時に異臭に気付いた彼の言葉で、私はあさりのことをハッと思い出したというわけだ。

異臭がする鍋を前に私たち二人はボーゼンとした。
力なく【あさり くさい】と検索すると、山のようにあさりの砂抜きに失敗する記事が出てきた。

よくよく調べるとあさりが死ぬと、すぐにくさり、腐敗臭がする。
しかも、あさりはずいぶんとデリケートな食材であり、ちょっとした刺激で死んでしまうようなのだ。

たとえば洗う際に貝を誤って割っても死んでしまうし、死んだあさりが吐いた砂を生きているあさりが吸うことで、これまた連鎖的に死んでしまう。

さらに見た目は生きているようだけれど、実は死んでいる「生き腐れ」なるものもあるようだ。

たまねぎを剥くのもめんどくさい日があるというのに、私にあさりは10年早かったのかもしれない。

ああ、美味しく食べたかったよあさり。あさりの大量虐殺をした後、シンク下を安置所とした女として彼の記憶に刻まれたであろう。彼としても、非常に気まずい現場であった違いない。

鍋をゆすっても、白くにごったくさい水を交換しても、でろーんとした我があさりは無抵抗で殻を閉じることはなかった。生存者0。あさりよ、ごめん。

昨夜キッチン下であさりたちのゾンビドラマが繰り広げられていただろうと想像し、胸が痛かったが、泣く泣く全て処分するハメとなった。

それから我が家であさりを調理することはタブーである。自信を喪失した私は、貝だけでなく、見栄をはって難しい料理に挑戦することを一切放棄し、簡単料理ひとすじとなった。

それから数年が経ち、私もだいぶ料理が好きになった。人並みの出来であるが、日々の自炊もなんなくできるようになってきたある時、彼から「今月潮干狩りに行こう!」とお誘いを受けた。

私は【あさり大量虐殺事件】への汚名返上のチャンスとばかりにお受けすることにした。

今度こそ、美味しいあさりの味噌汁で彼の心を捉えたいものである。






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