「いつかは子ども欲しいかも」は社会からの刷り込み?
こんにちは へばらぎです🌻
先日読んだ本でとても考えさせられる内容があったので、私の思いをツラツラ綴ってみます。
「今じゃないけど、いつかは子どもが欲しいかも」
という思い、もしかしたら誰かに思わされていることなのかも?
本心では子どもを持つことを望んでいないのかも?
そう気づいたのは、コチラを読んだから。
以前、別の韓国のフェミニズム系のエッセイを読んだことがあり、率直な言葉選びがなんとも韓国らしく私にはけっこうハマったので、同じく韓国で出版されたものを今回も手に取ってみた。
前回読んだのはコチラ↓
話を戻して、今回読んだのは、『ママにはならないことにしました』というタイトルの通り、子どもを持たない選択をとった女性のお話。
複数名の「ママにはならないことにした」女性たちの、子どもを持たない選択に至るまでの過程や、そう決めた後の今の人生について、インタビュー形式で書き進められている。
子どもを持つこと・持たないことに対する考え方は千差万別であるが、どれをとっても「たしかにそうだよね」と納得できてしまう。
私は現在26歳で、昨年入籍した同い年の夫がいる。
結婚すれば当然かのように意識してしまう「子どもをいつ生むか」という議題。
子どもはかわいいし好きだ。
親戚に子どもがいたら触れ合いたいと思うし、自分の子どもを育ててみたいという気持ちもある。
子どもと一緒に歩む人生は、みんな言うようにきっと他の何にも代えられない、かけがえのないものなんだろうと思う。
でも、私は不安だ。
まず、一度母になったら「母であること」をやめられないことが怖い。
結婚は自分たちの意思でやめられるけど、一度子どもを生めば、夫と離婚しようが母という立場はなくせないから。
家で一日ゴロゴロしてダメ人間になれないし、
何も考えず友達とワイワイお酒を飲めないし、
好きな時にふらっと海外に行ってエキサイティングな体験をするとかもできないのでは?
そんなふうに考えてしまう。
生んでさえしまえば、さっき書いたようなことなんてどうでもよくなって、子どもと過ごす時間が1番の幸せタイムになるかもしれない。
だからそんなことは杞憂かもしれない。
いやでもやっぱり自由気ままに生きたいかもしれない。
子どもを生んだ後に自分にとって何が大切になるかなんてわからないのに、「きっと子どもが1番になるから」と不確実なものを信じて今目の前に見えている自分にとって大切なことを捨てる必要はあるのか?
それから、母になることを決めるにも、母にならないことを決めるにも、期限があるのがつらい。
大学生の時、留学先でめちゃくちゃイキイキ自由に生きている30代の人たちをたくさん見てきた。
まだ全然若いじゃん。
やりたいことやれるじゃん。
そう感じたからこそ、その時間を子育てに割くという決断がむずかしい。
と、子どもを持つことに対して私はこんな風に考えているわけだけれども、『ママにはならないことにしました』の中に、「子どもを持ちたいかも、という気持ちさえ社会から思わされているのかもしれない」といった内容があった。
ハッとさせられた。
私がいつか子どもを生みたいかも、と思っているのも、「子どものいる人生は幸せ」といつの間にかどこかから刷り込まれた考えによって思わされてるだけなのかもしれない。
子どもが欲しいと本心で思っていれば、母をやめられないことに対する不安なんて、こんなに感じることはないかも。
奥底の私の気持ちは、子どもを持たずにやりたいことをやる人生を望んでいるんだって気づかされた。
人の気持ちなんて、1年あれば簡単に変わる。
だから、子どもはいなくてもいい、と思っている今の気持ちも数年後には変わっているかもしれない。
物理的に安心して産むことのできる年齢になるまでは、まだ10年ほど時間がある。
今やりたいことをたくさんやって、その中で見つけた気持ちをいつも大切にしようと思った。
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