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自分の人生は自分で舵を取るもの


先日、Twitterにてこんな趣旨のツイートを見た。

  • 夫が家事・育児に全然参加してくれない

  • 「もうあなたには期待しない」と夫に伝えたら「やっと諦めてくれたか!俺はこの先も変わらないのにこれまでずっと説得をしてきて、よくやるよなーと思っていた」と返され、茫然とした

これを見て、「いや~~正直こら辛いわ」と思った。
私は幸い、家事を率先してやってくれる夫に恵まれたので、こういった無力感を味わう経験はまだないが、それでもこのツイート主の夫には呆れてしまう。

そんな一方で、ある人の引用リツイートが目に留まった。
趣旨は大体こんな感じ↓

  • 他人は自分の都合に合わせて生きていない

  • 夫の行動の是非にかかわらず、そういう人だと受け入れて今後も付き合っていくのか、それとも別れるのか、自分で選択しなくてはならない

  • 結果、現状はツイート主は「夫と一緒にいる」ことを選んでいる


これがどうやら議論のタネになっていたようで、さらに多様な反応が返ってきていた。

「そんなのおかしい」「妻と夫ふたりの意志で子供をもうけたはずなのに何もしない夫が悪いに決まっている」「その夫が卑怯だ」「そんな相手と結婚した妻の自己責任っていうのか!」・・・・・・。

本当にそうだと思う。私も先述の通り、夫の態度は許せない派だ。


ただ、問題の引用リツイートの内容にも大いに共感する。

どれだけ自分の不遇を嘆いても、夫も、ワンオペが辛い状況も変わらない。
相手に期待することは何も悪いことではないが、その相手が期待に応えてくれないことが明白なら、それを受け入れるか自分の言動を変えるかしかないのだ。

世の中には自分次第で変えられることとそうでないことがある。
「夫が家事・育児に参加してくれない」というのは、場合によっては変えられるケースもあるかもしれないものの、今回のように夫に完全にやる気がない場合、自分次第では変えられないものに分類される。

そうなった時、物理的に家から出られないようにされている、経済的DVに遭っていて他に頼れる家族や友人もいない、といった例外を除き、基本的には夫から離れることは不可能ではないはず。

そんな状況の中、「夫と一緒にいる」ということを選び取っているのは自分自身だ。
人は ”積極的な行動を起こしていない”、”現状を維持している” ということを「選択」という行為だと捉えにくいため、「夫がおかしいだろ!」派が多く現れるのだろうと思う。


残念ながら、世の中理不尽なこと、受け入れがたいことはいくらでもある。
そういう局面で「あいつが悪い」「自分が正しいからお前が変わるべきだ」と思うのは自由だし私も心ではそう思う。

ただ、自分が一番はっぴーに生きるためにはどうすべきか?という視点に立った時、悪を非難するだけでは足りないのだ。
それでどうするの?を自ら考えられるような人でありたい。それがごきげんに過ごすための第一歩なのだから。



※※※
ちなみに上述の引用リツイートの内容には共感をするものの、それを「辛い現状をSNSに吐き出した人」にめがけて発信をするかどうか?という点については私は否定的だ。(引用リツイートはツイート主に内容の通知が届いてしまう)

正論はどれだけ正しくても、使い方には注意しないといけない。
※※


自分の幸せを他者にゆだねずいつもごきげんに生きたい人へ⇩



以上、へばらぎでした🌻


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