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「考え事」自分を評価する権利が自分にしかない

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それらの存在は私たちのことを評価する権利があるということはみんな当たり前に思ってるでしょう。

もちろんそれは人間として最初の段階に必要性があります、何も知らないころ私たちが導いてくれる存在として必要だと思いますが、大人になってからそれらは結局ただの組織や団体の中に作られた仕組みや法則や習慣において評価基準を過ぎない、その環境の外からみれば実際に社会全体にとってどうでもいいことあるでしょう。

その組織や団体が会員たちのことを現状のままに見守れる限りは別に構わないのですが、今みたいな変化が激しい時代になると社内や学校内的な評価に疑う必要があるのだと思います。

「あなたは優秀です、あなたはダメです」両方の発言に私自身はもうどうでもいい言葉になるのです、自分を自分が評価しかできないので、自分のことを客観的に見ることをとっても肝心なことです。

今自分がこの船の中にどこに立っていることではなく、今自分がどこの膨大な海の中にどこ位置いるのかと考えなきゃいけない。自分が泳げるかどうか考えなきゃいけないのです。

僕が自分によく例えにすることは、
自分が株価のように見ること、
実際今年自分の売り上げいくらとか、
今将来のために開発中最先端技術があるのか、
海外に市場拡大するチャンスがあるか、
今社内ダメなところ改善することとか、

そいうことが投資家あるいは「評価者」現実の中身がそこまで見る力が持ってないので、当社の株価が本当の価値に反映されていない可能性が高いのです。それはよくあることですね、その逆も該当します、実際当社は何もいいこと行なっていないのに、外から綺麗に見えるため行動してメディアから高評価えるためだけ行動をすることがあるでしょう、その時は株価が上がる場合もあるけど長期的にはきっとバレたからバブル弾けるまでは時間の問題だけでしょう。

だから自分しか見えない現実が知るべきです、本質的な成長に優先して外部の評価に及ばないで進むべきです、高評価をくるのは時間の問題だけです。

今の私はそういう考え方で生きているのです、だから実は日本語能力試験あまり好きじゃないっていうか、評価されることが嫌なんです。

日本語能力試験一級か二級かどうでもいい、私は谷俊太郎氏の詩楽しめるようになったから日本語勉強してよかったこととか、別に聴解が苦手でもそんなに人の話聞くことが好きじゃないので、読書のほうが好きだから、とかとか(笑)。

ということで、今回の記事を終わりにします。

良い一日を!



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