統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol9

14 ヨーロッパ旅行・一人暮らし
 
大学3回生に上がる前の春休みに、私と亜希、冴子と昌代、そして冴子のボーイフレンドの俊の5人で、ヨーロッパの旅に出た。私と昌代は、通っていた英会話スクールのツアーに参加して、ツアーの最終地のローマで、冴子たちが合流した。
 

英会話ツアーでは、ローマ、ロンドン、アムステルダム巡り、またローマに帰ってきた。楽しいツアーだった。ローマのホテルに冴子たちが来てくれて、ユールレイルパスで、ミラノへ、そしてスペインのバルセロナに行った。
 

バルセロナは、とにかく素晴らしい街だった。ガウディの建築も素敵だったし、ピカソ美術館やミロ美術館といった、美術館も素敵だった。私たちは、足を延ばして、ダリ美術館にも行った。素晴らしい美術館だった。食べ物も美味しかったし、人も温かかった。そして、空の青さが、日本とは違っていた。まさにコバルトブルーといった感じだった。ガウディのサグラダファミリアでは、塔の中を上へ上へと登った。なんだか天国へと向かって登っていくような、不思議な気がした。海外で一番好きな都市は、と聞かれたら、私は迷わずに、
「バルセロナ!」
と、答える。それくらい素晴らしい街だった。
 

私たちは40日間かけて、ヨーロッパを旅した。マドリッドのプラド美術館では、ピカソの「ゲルニカ」を見て衝撃を受けた。パリのオランジェリー美術館では、モネの「睡蓮」を見て、体が震えるくらいに感動した。オルセー美術館では、素晴らしい作品群に、圧倒された。特に私が、心打たれたのは、旅に出る前に見て感動した映画が描いていた、カミーユ・クローデルの彫刻だった。素晴らしい芸術に触れることができた旅だった。その体験は、私の生涯の財産になった。
 

ホテルでは、冴子と俊が一室に泊まり、私と昌代と亜希が三人で泊まった。亜希は毎晩、ホテルで、次の日に行く観光地や、レストランをガイドブックや地図で入念に下調べして、次の日に私たちを完璧にナビしてくれた。亜希のおかげで、どの街でも迷うこともなく、すんなりと目的地に行けて、楽しい旅になった。パリでは、一日だけ、それぞれが一人で行動した。私はモンマルトルの丘に行った。道に迷い、亜希のありがたさが身に染みた。
 

また、パリでは、レズビアンのためのパーティーにも行った。私が、情報誌で、「Women's night」というイベントを見つけて、俊以外の4人で、イベントのやっているナイトクラブに行ったら、レズビアンのパーティーだったのだ。みんなおしゃれで、綺麗で、そして優しかった。それは、とても刺激的な体験だった。日本では経験できないこともいっぱい経験した、心に残る楽しい旅だった。
 

3回生になると、校舎は、今出川キャンパスになった。家から近くて、通いやすくなった。そしてゼミが始まった。亜希も私も同じゼミに入った。ゼミは、とても面白かった。ゼミの先生の専門は、ドイツロマン派の芸術と、ポストモダンアートだった。私は、ポストモダンアートに、とても興味を持った。ゼミの先生の勧めで、ギルバート&ジョージという、ポストモダンのアーティストの研究をした。彼らの作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館にもある。私は、ニューヨークに行ってみたくなった。

1、2回生とあまり大学に通っていなかったので、単位をけっこう落としていた。私は、平日は、ほぼ毎日、大学に通った。
 

大学3回生になっても、常夫との諍いは絶えなかった。常夫はその頃カラオケボックスを経営していた。
「帰りが遅い!」
「何だ!その服装は!」
「家の手伝いをしろ!」
「女らしくしろ!」
と、一方的だった。そして、常套句が、
「誰のおかげで、飯が食えてると思ってるねん!」
だった。
「お前は女やろう!女らしくせんかい!」
という言葉も嫌だった。本当にこの言葉が大嫌いだった。女らしくって、いったい何なのだろう?

一人暮らしがしたかった。でも貯めていたお金は、ヨーロッパ旅行で遣ってしまっていた。
 ある日、いつものように口うるさく叱る常夫に耐え切れず、
「もう、出て行く!」
と言ってしまった。常夫は逆上して、私の髪を掴み、頭を柱に打ち付けた。房恵が止めに入ってくれたが、頭から血が出て、二針縫う怪我をした。
 

次の日の房恵が、興奮気味に私に言った。
「葉月ちゃん、あんた、家出て一人で暮らし!」
「えっ?」
「今日、清明神社で占ってもらってきてん。宮司さんが『この子は家から出したら、何かを掴んでくる。心配しなくても何かを掴んでくる。だから家から出しなさい』って。お父さんは私が説得するから。今からマンション探しに行こう」
「えーっ?えーっ?」
 何が何だか、わけが分からなかった。
「さあ早く、車に乗って!」
房恵がせかした。房恵はとにかく決断と行動が早い。私は房恵と、不動産屋に行った。

「最初にかかるお金は出してあげるけど、あとの費用は自分で賄いや」
そう言って、房恵はマンションを決めて、敷金礼金と手数料と一か月分の家賃を払った。それから電化製品を買い揃えて、次の週に私はマンションに引っ越した。
 

片づけを終えて房恵が帰り、ベッドに寝転んで天井を眺めていたら、不意に不安が込み上げてきた。1、2回生の時にあまり大学に通っていなかったので、単位をかなり取らなければいけなかった。だから、昼間は大学に通わなければいけない。マンションの家賃は60000円だった。それを払うためには、夜にアルバイトをするしかない。
(明日、バイトを探しに行こう)
そう決めて、その日は床に就いた。そして次の日、アルバイトニュースに載っていたスナックの面接を受けに行って、採用された。歌が苦手な私は、カラオケがなかったので、その店を選んだ。仕事は、夜の7時から、翌朝の3時までだった。
 

こうして私の一人暮らしが始まった。マンションは亜希のマンションの近くだった。私たちはよくお互いの家を行き来した。亜希への想いは募るばかりだった。
 

やがて、亜希に彼氏ができた。亜希のアルバイト仲間で、京都産業大学に通う、祐介という青年だった。亜希は、度々私の部屋に祐介を連れて訪れた。私は、二人のために料理を作り、おどけて、二人を笑わせた。二人が帰った後、私は切なくて、涙が出そうになった。きっと亜希は私の胸の内を見透かしていたと思う。分かっていながら、祐介を連れて来るのだ。そして、苦しむ私を見て楽しんでいたのだ。いっそう亜希を憎みたかった。でも、私にはできなかった。私は、本気で亜希を愛していたのだ。
 

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