本当の自分に気づく

『自分に気づく心理学 幸せになれる人、なれない人。』 加藤諦三著

次男が来てくれた!

コロナの症状だった咽喉の痛みも頭痛もほぼ収まりました。痛くてすごく辛かったので、ホッとしています。

かなりよくなったけれど、自粛生活をしていた昨日、突然次男が来てくれました。

「俺にコロナうつすなよ~」と言いながらも、ニコニコしている次男。その笑顔を見ていたら、なんか心がポカポカ。次男の笑顔にはいつも癒されるのです。

「ちょっと寝るわ」と言って、衣姿から私服に着替えてコタツにもぐり込み昼寝を始めた次男。その寝顔を見ていたら、彼の幼い頃の思い出が蘇ってきて、何とも言えないくらい幸せな気持ちになりました。

「28歳になる息子をこんなにも可愛いと思うのは変なのかな?でも変でもいいわ。だって可愛いねんもん!」

そんなことを思いながら、寝顔を見つめました。

昼寝から起きて、修行道場に戻るため(次男は修行僧なのです)衣に着替えた次男は、
「そうじゃ。せっかくじゃけえ、一緒に写真を撮ろう」と。パチリパチリと何枚も写真を一緒に撮りました。次男は一枚ごとにポーズを変えて(笑)。なんだかすごく楽しかったです。

こんな風に次男と穏やかに過ごす時間を今年もいっぱい過ごせたらいいな。


「辛い」、「寂しい」と言えなかった私

私が次男といて感じることは、彼がいつも自然体でいるということです。甘えるのもすごく上手。つい、何かをしてあげたくなってしまします。僧侶の修行をしていて身につけたのか、もともとの彼の性格のおかげなのかはわかりませんが、「自然体でいる」彼といるのは、とても楽です。心が落ち着きます。

この「自然体でいる」ということが私にとっては、かなり難しいのです。みなさんはいかがですか?

私が10歳の時に、父と生母が離婚しました。私と弟は父に引き取られて、仕事が忙しかった父は、私と弟を京都の祖父母と伯母が暮らす家に預けました。10歳で、両親との別れを経験したのです。

離婚する前から父は仕事で不在がちで、生母と弟と私の母子家庭のような暮らしをしていました。だから生母との別れは辛かったです。私と弟を可愛がってくれた、母方の祖父母との別れも辛かったです。

でも、私は「辛い」、「寂しい」と父や伯母や父方の祖父母に素直に口にすることができませんでした。それは言ってはいけないことのような気がしていたのです。みんなを悲しませるような気がしたのです。

辛いというより、空虚感と言った方がいいかもしれません。私はその空虚感を埋めるために、たくさんの本を読みました。そして、「同志社中学校に行きたい」という目標ができてからは、勉強に打ち込みました。頑張った甲斐があって、同志社中学に無事に合格することができました。

この頃の経験が私の原点になっていると思います。私は今も本を読むことが大好きだし、学ぶことが大好きなのです。本を読む事、学ぶことは今も私の空虚感を埋めてくれて、不安をやわらげてくれます。


甘えの欲求が満たされなかった私

両親の離婚を経験した10歳の私は、それまでの平和な子供時代から、突然に大人の世界へと引きずり出されたような気がしていました。急に、突然に。そう無邪気なままではいられなかったのです。父や伯母や祖父母にも心底からは甘えられませんでした。心に蓋をしていました。

『自分に気づく心理学 幸せにななれる人、なれない人。』の中で、加藤諦三さんはこう書いておられます。

「甘えの欲求を満たされず、それを放棄するように強制された人は、親に受け入れられなかった人である。それによって自分のアイデンティティーは不確かなものになり、後々までも続く自己不適感のもとになった」

「しかし最悪なことは親に受け入れられなかったことではない。受け入れられなかったにもかかわらず、受け入れられたと信じていることである」

この「受け入れられなかったにもかかわらず、受け入れられたと信じていることである」という分にはハッとしました。私の父は私を愛してくれましたが、「勉強ができる私」を愛していたのです。ありのままの私をではなかったのです。

私は甘えの欲求を抑えて、「いい子であろう」「勉強のできる子であろう」と頑張り続けたのです。


「良い子」、「良い人」でいることの対価

加藤さんはこうも書いておられます。

「自分の存在に罪責感をおぼえ、何をしていても何だか自分を許せないような気持に苦しめられている人は、小さい頃を本気で反省することである。小さい頃他人が自分を傷つけた時、それを受け入れることを周囲の雰囲気は強要していなかっただろうか」

「怒ってはいけない、そして怒らないことで良い子と褒められる。そんな風に褒められることで神経症になった人間は、どれだけ対価を払ったかわからないのである」。

加藤さんがおっしゃるように良い子、良い人を演じて、本当の自分気持ちを押し殺すことは、すごくたくさんの物や大切なものを犠牲にしてしまうと思います。

私は結婚していた頃は僧侶の妻としてお寺で暮らして、子供に英語を教える仕事をしていました。

「良い奥さんと言われたい」
「良い先生と言われたい」
「褒められたい」
「認められたい」

と、いつも焦燥感に駆られていました。頑張らなければ自分の居場所を失ってしまうような不安感を抱えていたのです。そしてオーバーワークとストレスから発病してしまい、一番大切にしなければいけない息子たちに寂しい思いをさせて深く傷つけてしまいました。悔やんでも悔やみきれません。


本当の自分に気づく

親に甘えられずに、「良い子」を演じてきて、心の病を発症したという人は多いです。私の周りにもたくさんいます。

病気になっていろんな物を失うのも辛いですが、「良い子」を演じることによって、「本当の自分」がわからなくなってしまうのが、一番辛いことなのではないでしょうか?

「自分が何がしたいのかわからない」
「自分が何を好きで嫌いなのかもわからない」
「自分がそこに存在してもいいのかわからない」

そんな風に本当の自分がわからなくなるのは辛いことではないでしょうか?かつての私もそうでした。

今は、こうしてブログを書くことで、自分の心と向き合い、本当の自分に気づくことができるようになりました。

加藤さんはこうもおっしゃいます。

「自分は生きるに値する人間だという決断は、人間の心理的成長に欠かせないものである」

そう、私は生きるに値する人間なのです。
あなたも生きるに値する人間なのです。
誰もが生きるに値する人間なのです。

本当の自分を大切にしましょう!

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

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