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産んでくれておおきに!生まれてきてくれてありがとう!(統合失調症の私のNPO法人設立奮闘記Vol29)

NPO法人についての講座を受けて

先週の土曜日は、NPO法人についての講座を、ひとまち交流館の中にある市民活動総合センターの会議室で受けてきました。

市民活動や地域活動が陥りやすい点や、NPO法人が目指していくことなど、とても学びになりました。講座の内容は、すごく盛りだくさん!こんなに充実した内容の講座が無料で受けられるなんて、本当にラッキーです!

市民活動総合センターでは寄付金の情報もゲットすることができます。私たちの団体が受けられそうな助成金の情報をいくつかもらってきました。

補助金を得るのはなかなかハードルが高いのですが、私や仲間が目指している「心の安全基地づくり」への熱い思いをきちんと伝えられたら、共感してくださるところもあると思います。頑張ります。


次男の誕生日

そして先週の土曜日、5月25日は、私の次男の29回目の誕生日でもありました。

29年前の5月25日の私は、大きな喜びと幸せに包まれていました。

まさかその後、統合失調症を発症して、元夫と離婚することになるなんて想像もしませんでした。

次男の誕生した日にはとても不思議なことがありました。

その日は檀家さんのお葬式で、元夫は朝早く檀家さんの家に出かけていました。私もお葬式の準備をしていたら、おしるしが…

「どうしよう?」と私は困惑しました。元夫のお寺から産婦人科の病院までは、車で1時間もかかるのです。おしるしは明らかに、陣痛が来る兆候です。困った・・・

すると、ある檀家さんから電話が。

「今から市内に行くけど、何か用事はないか?」と。
私は、「あります!病院まで乗せて行って下さい!」と、叫ぶように言いました。

そして、入院にむけて準備をしていた物が入ったボストンバックを抱えて、その方の運転する車で、病院に向かいました。

長男の時と同じ微弱陣痛で、なかなか生まれてこない次男。廊下で待って下さっていたその方に、陣痛が治まっている間に、「いつ生まれるかわからないので、もうお帰り下さい。本当にありがとうございました」と告げて、また陣痛室へ。

陣痛促進剤を使って、結局その日の夕方に次男は生まれました。

あとでお姑さんに聞いたところによると、その方は亡くなった舅の親友だった方だとか。仏様のお導きとしか思えませんでした。

今、修行僧として頑張っている次男。生まれる前から、仏様にご縁があったのです。


産んでくれておおきに!生まれてきてくれてありがとう!

24日には次男に手紙を書きました。次男の修行するお寺には郵便物を送ることはできません。いつ渡せるかはわからないけれど、心を込めて書きました。

そして、25日の朝に、「お誕生日おめでとう!」というメッセージを送りました。

すると、「産んでくれておおきに!」とシンプルな返信が。シンプルだったけれども、とても胸が熱くなりました。

次男が、「生まれてきて、生きていてよかった!」と思える人生を今生きていることが、とても嬉しかったのです!

次男からのメッセージを見て、彼と過ごした日々、時間、思い出が走馬灯のように脳裏によぎりました。

そう、次男は幼い時からたくさんの、本当にたくさんの喜びと幸せを私に与えてくれました。そして今も与え続けてくれています。そのことに心から感謝しています。

「生まれてきてくれてありがとう!」と私は返信しました。それは偽りのない私の思いです。次男の存在に、その命に心から「ありがとう!」と言いたいのです。

あの日、あの時、あの場所で元夫と私が出逢っていなければ、長男も次男もこの世には存在しませんでした。そう、彼らの存在は、奇跡的なものであり、神秘的なものでもあるのです。

もし違う道を私が歩んでいれば、統合失調症という病を発症せずにすんだかもしれません。病気は辛いです。今は症状も収まり、働けるようにまでなった私ですが、ここまで来るまでには、ずいぶんと辛い思いもしました。

でも違った道を歩んでいたら、長男と次男には出逢えなかったのです。彼らの存在がない人生は想像できません。

どんなに辛くても、私はやっぱり元夫と結ばれて、長男と次男を産む道を選びたいです。いや選びます!


5分だけでも自分の命に感謝する時間が持てたら

長男と次男という私にとっての宝ともいえる命をこの世に生み落とした私。その私の命もまた、私の父と生母が紡いでくれたものです。

父と生母が出逢っていなかったら、私はこの世に存在しなかったのです。本当に運命って、不思議で神秘に満ちています。

「生きるのが辛い」と思っている人もたくさんいると思います。私もかつては、そんな想いを抱いていました。

でも私は思うのです。「生きているだけで、それだけで素晴らしい事なんじゃないか?」と。

働きたくても、病気があって働けない人もいると思います。そのことで肩身の狭い思いをしているかもしれません。「自分には価値がない」と思っているかもしれません。

でも、でも、今ここに存在しているだけで、生きているだけで、それだけで十分幸せなことなのではないでしょうか?十分価値があることなのではないでしょうか?

私という命を紡いでくれた父と生母の上には、祖父母の命があります。その上にはさらに曾祖母の命が。脈々と流れ紡がれた命がつながっていって、私の長男と次男の中に流れているのです。

そんな奇跡的で、神秘的な命を私たちは一人ひとり生きているのです。

「生きていくのが辛いな、苦しいな」と思った時には、自分の命に、5分だけでも感謝する時間を持ってみませんか?
自分という存在を丸ごと抱きしめてみませんか?

神様だか仏様たかはわかりませんが、私たちの想像をはるかに超えた大きな力が、私たちという命をこの世に生みだしてくれたのです。

その命に感謝する時間を、5分だけでも持ってみましょう!
きっとなにかが変わるはずです!

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。


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