他人をそして自分を赦す

「鋼の自己肯定感」 宮崎直子さん著

突然のOFFデー

今日は仕事のはずでした。でも昨日の夜に施設長から電話がかかって来て、コロナのために、「今週いっぱい施設をクローズする」と告げられました。なので今日は、突然ですが仕事が休みに。

せっかくOFFになったので、樺沢紫苑先生がFacebook でお勧めされていた映画の「ミセス・ハリス パリへ行く」を見に行くことにしました。すごく良さそうだったので。

最近けっこう映画、おもに洋画を映画館やAmazon primeで見ているのですが、やっぱり映画っていいですね。英語の映画だと英語の勉強にもなるし、約2時間現実を忘れて、物語の世界に浸ることができます。自分の感性も磨いてくれます。今日はどんな物語の世界に浸ることができるのだろう?

不意に訪れた自由な自分のための時間。楽しく使います。


アファーメーション

映画もですが、良い本も、私を成長させてくれます。宮崎直子さんの「鋼の自己肯定感」もそんな良書の一つ。私に大きな影響を与えてくれています。

昨日のブログで、自己肯定感を上げる方法のアファーメーションについて、「鋼の自己肯定感」に書いてあることを少し書きました。アファーメーション=言霊です。

昨日は、「私は自分が大好きです」と鏡の前でにっこり笑って、自分に語りかけるといいと書きました。このアファーメーションについて、宮崎さんが書いておられることがすごく素敵なので、まとめてみたいと思います。

「アファーメーションは最低3週間、つまり21毎日続けるといい」


「私は何も証明する必要はありません」
あなたの価値はあなたの存在そのもの

自分はスポーツが得意という人は、スポーツで自分の価値を証明しようとするかもしれない。特定の人、例えば両親に認められることで自分の価値を証明しようとして、親の言うこと望む事なら何でもするという人もいる」

「『鋼の自己肯定感』とは条件を一つもつけずに受け入れ愛することだ」

だから、「何も証明しなくてもいいことに気づくこと、それを実感することが、鋼の自己肯定感を育てるための大前提となる」

「『私は何も証明する必要はありません』というアファーメーションを3週間毎日唱えてほしい。証明する必要はないのだから、イライラすることも心配する必要もないことが分かるだろう」


私は自分を赦し、他人を赦します

「『ゆるす』という行為には、2種類ある。『許す』と『赦す』だ。『許す』は『外泊を許可する』などその行為を行ってよしとすること。一方、『赦す』は、『大統領は有罪になっていた人に恩赦を与えた』というように、有罪になった行為自体は許さないが、それでもその行為を行った人は赦すということ」

「『私は自分を赦します』という時の「ゆるす」は『赦す』のほうだ」

「過去にしてしまったり行ってしまったりしたひどいことや、最近やってしまったものすごい失敗に、またやっていいという許可を与えることではない」

でも「繰り返してはいけないその行為をしてしまった自分を責めることなく、受け入れて愛してあげるというのが『私は自分を赦します』という意味だ。自分の間違い、イコール自分ではない」

「自分を赦すことと、他人を赦すことは表裏一体だ。自分を赦せなければ、他人も許せないし、自分を赦せれば、他人も赦せるようになる」

「傷ついている人が、他の人をまた傷つけるのだ」

例えば、自分に怒鳴る上司がいたとしよう。
「怒鳴るという行為は許さないが、人は赦す。あんな風に怒鳴るという行為イコール上司ではない」

「あなたの親が、たとえ毒親だとしても同じこと」

「他人を赦すことで、あなたは自分を赦せるようになるし、自分を赦すことで、他人を赦せるようになる」


父を生みの母をそして育ての母をそして、元夫を赦せるようになった私

宮崎さんの「他人を赦すことで、自分を赦せるようにになるし、自分を赦すことで、他人を赦せるようになる」 という言葉は、とても心に響きました。

私には二人の母がいます。生みの母と育ての母です。生みの母は、私が生まれてすぐに育児ノイローゼで、精神病院に入院して、私は親戚や祖父母の家に転々と預けられて乳幼児期を過ごしました。

私が10歳の時には、父と生みの母と双方の不倫が原因で、両親が離婚して、私は京都の伯母と祖父母の家に弟と共に預けられました。この両親の離婚で私は大きな心の傷を負いました。

私が14歳の時に、父は育ての母と再婚しました。育ての母には、男の子がいました。育ての母は、元クラブのママで、とても強くちゃきちゃきした人でした。チャキチャキしていて行動がはやい育ての母に、私はなかなかなじめませんでした。思春期だったのもあったと思います。どこか「父をとられた」ような気がしていたのです。

父は、破天荒な人でした。商才があり、会社を経営してお金儲けがうまかったのですが、稼いだお金を銀座や、新地や、祇園のクラブで、パーっと使ってしまう。困っている人がいたら、多額のお金を貸してしまうといった人でした。お金のことで、よく育ての母と喧嘩をしていました。

私はとても不安定な乳幼児期、思春期を経て大人になりました。

元夫は、僧侶です。私は22歳で、元夫と恋愛結婚して、二人の息子たちを授かりました。家庭的で家事にも育児にも協力的な人でした。私が児童英会話教室をやりたいと言った時も応援してくれて。支えてくれました。ただ職業柄か、性格的なものなのかはわかりませんが、とにかく社交的で、色々な人が家に出入りするので、私はなかなか家でゆっくり過ごすことができませんでした。

私も母として、お寺の奥さんとして、もっと大事にしないといけないものがあったと思うのですが、元夫に対しても「そんなことよりもっと大切なものがあるんじゃないの?」といつも思っていました。

私が統合失調症を発症して、離婚になり、私の家庭は結果として壊れてしましました。そのことで、元夫を恨むというか責める気持ちを抱いたこともありました。

でも、私は今、元夫を赦し、そして元夫に感謝しています。息子たちをここまで育ててくれたこと、そして息子たちと交流させてくれることに心から感謝しています。

元夫だけでなく、父、生みの母、育ての母を赦し感謝しています。父と生みの母がいてくれなかったら、わたしは生まれてくることができませんでした。事業がうまくいかない時も、私の学費を払ってくれた父。そのおかげで私は同志社で学ぶことができ、素晴らしい友人たちと出逢いました。育ての母の私への厳しさも、深い愛情からだったのだと思います。

そう、みんな私を愛してくれました。そして、私もみんなを愛していました。今はわかります。父も育ての母も亡くなって、生みの母は認知症です。直接感謝の気持ちを伝えることはもうできません。

私自身が自分の過去の過ちは過ちと認めながら、自分を赦せるようになったおかげで、父、生みの母、育ての母、そして元夫からの「愛」そして彼らに対する「愛」に気づくことができたのだと思いました。

「鋼の自己肯定感」、本当に深い本です。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


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