愛されたかった私

私はしつこい?

昨日はカウンセリングの日でした。昨日もたくさんの気づきと学びを得ました。

先日、英語のイベントでAさんという方が、私の悪口を周りの人に言って、なおかつ、直接私に、ガーッと悪口を言ってきました。私は動揺してしまいました。その時のことを月曜日にカウンセラーの先生がやられているZoomで話したら、
「何回その話するのん?暮島さん、しつこいで」
と、カウンセラーの先生はおっしゃいました。Clubhouseのルームでも話していたのをカウンセラーの先生は聞いておられました。

(しつこい?)
(そんな言い方ないんちゃう?)
(悪口を言われて傷ついた私に、寄り添ってくれてもいいんちゃう?)
と、もやもやとした気持ちになりました。その気持ちをカウンセリングの時にぶつけてみました。
「だって、しつこいねんもん」
と、カウンセラーの妙さん。
「何人の人にこの話をした?」
「10人くらいです」
「ほら、しつこいやん」
「しつこいですか?」
「その話をするたびに、暮島さんは、悪口を言ったその人のレベルに自分を合わせているって言うことやで。もったいないと思わへんのん?」
そんなやり取りをカウンセラーの先生としました。
「悪口を言われて嫌やと思ったことをわざわざ人に言う必要があるか?」
と、妙さんはおっしゃいました。たしかに…

妙さんの援助を得ながら、悪口を言われたことに、なぜそんなにしつこく反応してしまったのかを深堀りしてみました。



お姑さんとの関係がフラッシュバックしてしまう

私の事を全否定して、こうだと決めつけてガーッと一方的に言うAさんの反応は、私にお姑さんとの関係を思い出させました。

お姑さんが亡くなるまでの10年間の同居生活で、私はその関係にずいぶん苦労して傷つきました。
(どうしてわかってもらえないのだろう?)
と、いつも思っていました。お姑さんと離れるために、何度も元夫との離婚を考えたほどです。

「葉月さんはこうだから」
と決めつけられること、わかってもらえないことは、本当に辛かったです。自分が全否定されるのです。

離婚して、京都に戻って10年間一緒に暮らした伯母も、
「自分は絶対に正しい」
と思っている人で、伯母の意にそわないことを私がすると、ガーッと自分の意見を私に押しつけてきました。いつも息苦しさを私は抱えていました。

Aさんが一方的に私を否定するのを聞いたら、お姑さんや伯母の事がフラッシュバックするのではないか?と、妙さんの援助を得ながら思い至りました。


愛されたかった私

妙さんにお借りして、今、岡田尊司さんの「愛着障害 子供時代を引きずる人々」という本を読んでいます。

「人間が幸福に生きていく上で、もっとも大切なもの―それは安定した愛着である」
と、岡田誉司さんは書いておられます。

「その人の愛着スタイルというのは、母親との関わりを出発点として、その人にとって重要な他者との関係の中で、長い年月をかけて培われていく」
とも書かれています。

安定した愛着スタイルを持てなかった人は、愛着障害を抱えた人であり、大人になっても、さまざまな局面で、その影響が出てしまうのだそうです。

川端康成や太宰治やヘミングウェイなど、その才能を開花させながらも自殺に追い込まれてしまった人たちもまた、困難な子供時代を過ごし、不安定な愛着スタイルを抱えていました。それくらいに子供にとって親との関係は重要なのです。

では、私自身はどうだったでしょう?

私を産んで間もなく育児ノイローゼで生みの母は精神病院に入院しました。私は親戚や父の知人の家に転々と預けられました。

少し成長してからも、父は仕事で不在のことが多かったです。

そして、私が10歳の時に両親は双方の不貞が原因で、離婚しました。そのことで私は大きな傷を受けました。私は、いつも不在だった父に引きとられることになりました。

私が14歳の時に、父は継母と再婚しました。母親ができた喜びもありましたが、父を盗られたような気がしました。

そう、私はとても不安定な愛着スタイルのもとで育ちました。その不安定な愛着スタイルで育った私は自分を守るためにどうんな行動をしていったのでしょう?

「愛着障害」の本にも書かれていましたが、私は、勉強することで、いい成績を摂ることで、親を特に父親を喜ばせようと、認めてもらおうと頑張りました。父の愛が欲しかったのです。愛されたかったのです。

そして、これも本の中に書かれていたのですが、道化役を演じることで、「面白い人」「楽しい人」として周囲に受け入れられようとしました。それは、今も続いています。

とにかく私は愛されたかったのです。You’re OKと言って欲しかったのです。特に、父に愛されて、認められたかったのです。でも、それをうまく言語化できませんでした。大人になってから、さまざまな男性に、心理的にも身体的にも依存してしまったのは、父の愛が欲しかったという気持ちからじゃないかと思います。


ダメな自分も、いい自分も全部自分もまるごと受け入れる

愛着障害のある私は、強い承認欲求があります。
「認められたい」
「褒められたい」
「すごいねと言ってもらいたい』
「喜んでもらいたい」
と、無理をしてしまう時も多々あります。児童英会話講師の仕事をしていた時も、「もっと、もっと」と自分に鞭打ち、睡眠時間を削って、授業の準備をしていました。

でも、今は思うのです。
「人に認められることってそんなに重要なことなの?」
と。
「ありのままの私でOKじゃないの?」
と。

人間だから、ダメなところもいいところもあります。どんな人にもそれはあります。ダメな自分にフォーカスして落ち込んだり、無理をしたりする必要なんてないのではないでしょう?

ダメな自分もいい自分も、全部自分です。ありのままの自分をまずすべて受け入れてみてはどうでしょう?そうしたらラクになります。それは「努力しないでいい」ということではありません。より良い自分になれるように学び、切磋琢磨することは、もちろん大切です。

でも、ダメな自分を受け入れられずに、苦しい思いをするのは、自分にとっても、周りの人にとっても辛いことです。

ありのままの私でいいのです。

ありのままのあなたでいいのです。

自分自身に愛を与えませんか?

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。


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