父としての弟

弟家族と一緒にランチに行ったときのこと。

私は待ち合わせ場所に先に着いていて、みんなの到着を待っていた。
弟は時間ぴったりにやってきた。

後ろからとぼとぼ歩いてきた9歳の甥っ子は、不機嫌そうだった。
ここに着く前に何か一悶着あったのだろう。

レストランの席に着いても、甥っ子はまだ不貞腐れていた。

弟が「いつまでそのままでいるの?スマホのゲーム一回やったら、機嫌なおせる?」と声をかけると、
甥っ子は目を輝かせて「うんっ!」と言った。

甥っ子は、約束通りゲームを一回やったあとでいつもの調子に戻った。

すぐに気持ちを切り替えられてすごいなあと関心する。


弟は私に合流する前の出来事を説明しようと思ったようで、甥っ子に「何があったか話してもいい?」と質問をした。

甥っ子は「ヤダ」と言った。
弟は「うん、わかった」と言った。

それで、この話題はおしまい。

何があったのか気にはなるけど、言われたくないことってあるよねと思って私も特に聞かなかった。


私たちの両親は、親戚や友人に当事者である子どもの許可なく子どものことをなんでも話す人だった。

言われたくないような恥ずかしいこと、不名誉なこともペラペラ話題にされた。

たとえば「この子がこんなことして、ほんと困った」という話の場合なんかは、おそらく子どもの話ではなく「困った」という自分の話と思っているから、子どもの許可がいるという発想すらないのだろう。

両親に悪気はなく、単に配慮が足りないだけなのだけれど。

私はそれが嫌だった。
弟もそれが嫌だったんだなあ。

甥っ子への対応を見て初めて知る弟の気持ちだ。


弟とは同じ両親のもと、同じ家で育ったけれど、同じことが起こったって同じように感じているとは限らない。それでも似た記憶、似た不満を共有している同志なんだなあ。

弟の、子どもへの接し方を見ていると「自分はあんな親にはなるまい」という意思を感じる。
私も、もし自分に子どもがいたら同じように接するだろう。

「自分の子どもには自分と同じような嫌な思いをしてほしくない」


そんな弟の想いに、甥っ子はいつの日か気付くのだろうか。

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