見出し画像

8/15 Wordは苦手 『私の盲端』を読む

ひとりの時間が欲しかったので、PCと読みかけの本と5年手帳を持って、近くのスタバに行く。
スタバの席はほとんど埋まっていて、多くの人がPCで作業をしていたり、勉強をしたりしている。くつろぎのサードスペースというよりは、自習室のようなスタバは嫌いじゃない。

空いている席に座り、まずはnoteを更新する。誰の目にも止まらない日記を公開している意味を考えると虚しくなってしまうので、思考に蓋をする。

『生きのびるための事務』を読んで、ますます【私だけの時間】が欲しいと思うけれど、それを1日のスケジュールに組み込むことの難しさよ!
生来のズボラ、そして怠け者なので、早朝に起きて!とか、寝る前1時間!とかの時間設定がとても苦手。朝はギリギリまで寝ていたいし、夜は速やかに眠りたい。でも私だけの時間を確保したい!昼間の時間が一番なのだけど、会社員としての役割があるので……。

などなどを考えつつ、noteを加筆修正してzineにするためにWordと格闘する。Word、仕事ではほとんど使わないので苦手なのです。改行で1マス下げる(基本的な)設定に手こずってしまい、2ページしか進まなかった。


『私の盲端』(朝比奈秋/朝日文庫)を読む。
病気のため人工肛門になってしまった女子大生の話。

これからも腸を剥き出しにしたままかと眺めていると、外にあふれる生命力いっぱいの音に刺激されたのか、腹の穴から、生きていると言わんばかりに太い便が出はじめていた。涼子は腹を覗いたまま、その場にうずくまってしまった。切り取られて短くなっても大腸は活力に溢れている。太く長い便がパウチにのそりと落ちて、確かな重みを感じた。生きている重さだと思った。そうならば、自分は今、生きていること自体に疎ましさを感じているのかもしれない。内臓を抱えて生きる大変さに気づくことなく生きていきたかった。しかし、腸は一生剥き出しのままで、生理だって何十年も続く。内臓を忘れて生きていくことなどできない。涼子はパウチに数滴の涙を落とし、ゆっくりと立ち上がった。

『私の盲端』93-94ページ

クソみたいなバイト先や、同じく人工肛門を持った京平とのやりとりにうんざりし、あまり感情移入ができないまま読み終えたけれど、クソみたいな日常を過ごすことこそが「生きている」ことなのかもしれないと思う。


この記事が参加している募集

サポートいただけると励みになります!