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#18 【雑記】日記のようなもの

ここ数ヶ月、『日記屋 月日』という、古今東西の日記を集めたお店のメルマガを購読(っても無料版ですが)している。

他人の生活を覗き見させてもらうワクワクと、ほんの少しの背徳感とで、毎週の楽しみになっている。(無料登録で申し訳ないくらい)
そういえば、昔から日記文学やエッセイを読むのが好きで、最近は植本一子さんのメルマガやzineも欠かさず読ませていただいております。
『7月の2日間』もとても良かった。

翻って、わたしが日記を書くと、なんだかうまく書けないのだよね。
なんというか、愚痴っぽいというか、饒舌すぎて要領が得ないというか。

前置きが長すぎている感があるけれど、わたしも日記屋さんで日記を書いている人たちのように、日々の断片を書き残していこうかと。
(いつまで続くかな。。。)

8月29日(月) 

晴れ。暑い。
コロナ明けの初出勤日。
お盆休みからの延長で療養になってしまったので、半月ぶりに会社に行く。
の前に、8月頭に粉瘤手術をした部分の抜糸をしてもらうためにクリニックへ。抜糸は比喩なく秒で終わり、こんなものなのかと驚いた。
会社では、同僚から労りの言葉をかけてもらった。(コロナ療養後だから)

8月30日(火)

晴れ。暑い。
今日は作業のため、早朝から出先へ移動。
ちょっと体を動かしただけなのに、世界中の重力が乗っかってきた感。
出先から直帰後、本気で動けず床に倒れていた。
(ので、晩ごはんや子どもの世話は夫に丸投げだった)
コロナ明け、マジでしんどい。

8月31日(水)

くもり。蒸し暑い。
昨日の疲れが抜けず、在宅勤務というのに使い物にならなかった。
どういうこと!

9月1日(木)

くもり。エアコンが寒かった。
ようやく火曜日の疲れが抜けてきた。
今朝は出先でミーティング。
体を動かす作業ではなかったので、前回ほどの疲労はでなかった。良き。
お昼はうどん。

9月2日(金)

雨。むしむし。
今日も朝からお出かけだ!
お取引先さんにコロナ罹患について根掘り葉掘り聞かれ、ちょっと嫌だった。
イライラしたので、お昼は辛いものを食べる!と心に決め、スリランカカリーを食べた。辛うま!

9月3日(土)

雨。土砂降り。
重力は少し減ったけれど、体がダル重なのでヨガはお休み。
というか、子の夏休みのイベント付き添いとかをしていたら、8月はほとんどヨガに行けなかったし、今月もこんな調子なので足が遠のく。
明日こそは行きたいのだけど……。
3ヶ月ぶりの美容院。ショートを放置しすぎてとんでもないことになっているわたしの髪でしたが、色も毛量も多少マシになりました。

9月4日(日)

晴れ。昼ビールが飲みたい陽気。
今日こそはヨガに……!と思っていたけれど、明け方に謎の胃痛に見舞われてしまいキャンセル。月謝がもったいない。。。
まぁでも、今週は疲れたので今日は休養日ってことで、文字通りゴロゴロして過ごしたのだった。
今週の『鎌倉殿の13人』も息もつかせぬ展開だった。
来週が楽しみだし、今からロスがこわすぎる。

今週の1冊

読書感想文は他の場所で書こうかと思っていたけれど、ズボラなわたしなので複数のアカウントを運用できないことに改めて認識をしたのでした。
ので、当初の予定通り、このnoteに読んだ本の記録もしていこうかと。

『ヘルシンキ 生活の練習』(朴紗羅/筑摩書房)

二人の子どもとフィンランドのヘルシンキに渡った社会学者のレポートのようなエッセイ。
著者の来歴にも関係するのか、異国での生活や文化の違いがフラットな目線で淡々と描かれている。
(ちょいちょい出てくる、著者による関西弁ツッコミも秀逸!)
 
著者の二人の子どもにまつわるエピソードが中心で、例えば保育園では生活を運営するための技術(スキル)習得が重要視されており、友だちを作る、思いやりを持つ……といった好奇心や感受性、人格と認識しているものが、練習をしスキルを身につけることで習得できる、という考え方。
スキル(技術)が足りなければ、徹底的に練習をすればよい、ということが保育園から実践されてるそうで、「性格の問題……」と思っていたものが練習によって改善できるというのだ。
そんなこと、考えたこともなければ、考えることもなかった。
けれども、読み進めていくと1歳から死ぬまで生活を練習することができる、という捉え方に妙に納得してしまった。
北欧の合理的?な思想や行動を通じて、わたしたちの生活をより豊かにより良くするための、生きるための実用書のような1冊だった。
 


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