イギリス人のワイン好き(2)
大学3年生の時に、南フランスのモンペリエという大学都市に留学していました。その経験がきっかけになり、「せっかくなので、大学時代に何か1つ学んだ!と言えるようにフランス語をやろう」と思うようになりました。そして、それまでどちらかというと劣等生だった私に先生が言いました。
「語学なんて、何年もかけてやるものではない。半年なら半年と決めて、その間、まず寝てもさめても勉強してみなさい。フランス語の授業だけではなく、映画や音楽、お祭りや催しなど、フランス人が生活の中で普通にやることを全部吸収しなさい」と教えてくれました。単に勉強だけ…では続きませんが、その時の私は素直だったこともあり、とりあえず、半年、「フランス漬け」になってみました。すると、これまで全然わからなかったことが、フワッと目の前が開けたように、少しわかるようになったのです。それからは、面白くなりました。その時ほどではありませんが、今でも「フランス」が目に入れば、私は、引き寄せられるように興味を持ってしまいます。
ソムリエの資格取得は、会社で研修を担当していたことがきっかけでしたが、フランス語の素地があることで、地名やエチケット(ラベル)、専門用語を読んだり、覚えたりするのは、他の人よりも楽だったと思います。
また歴史も好きです。フランスという国が出来上がったのもそんなに昔ではありませんが、フランスを中心としたヨーロッパ史の歴史上の人物で、何人かとても惹かれる人がいます。
その人物の1人が、12世紀にたくましく、自在に生きたアリエノール・ダキテーヌです。アキテーヌは、今もその名前をアキテーヌ県として、地名を残していますが、元々はボルドー地方を中心とした有力諸侯(というより小王国の王様に近い)の領地で、その娘として生まれ、後に当主になったのがアリエノールです。ダキテーヌは、フランス語で書くと「d'Aquitaine 」。英語だと「of Aquitaine」で、「(場所)アキテーヌのアリエノール」という意味です。
当時のフランス王カペー朝の領地は、パリ周辺のイル・ド・フランス、ランスの周辺、オルレアンの地域だけでした。地図を見ると一目瞭然。実は地方の諸侯の方が領地もそれに伴う富も大きかったのです。
出典:https://sekainorekisi.com/download/アンジュー帝国の拡大地図
アリエノールは、父親を亡くした後、後見人となったフランス王の息子ルイ7世と結婚します。ところが、このルイ7世は元々は王を継承する予定が無く、修道士になるはずだったという地味な性格。一方のアリエノールは、裕福な家の王女様にして、キヤーンという高度な文化的な教育を受けた華やかな吟遊詩人の血筋を受け継いています。お坊さんのような性格のルイ7世との合うわけもありません。それで、結婚して15年目に離婚してしまいます。
その後、電撃的に11歳も年下のアンジュー伯アンリ(後のヘンリー2世)と再婚。当時は、ノルマンディー公がイングランド王(逆の言い方をすると、イングランド王がノルマンディー公)でもありました。母親がイングランド王家の血筋のアンリとアリエノールの結婚により、強大なアンジュー帝国(地図上ピンク部分)が出来上がります。
アリエノールは、フランス王ルイ7世の結婚で、2人の女子を出産。イングランド王との再婚後、5人の男子と3人の女子を生みます。
アリエノールの華麗な系譜。
アリエノールの子どもたちは、男子はイングランド王や諸侯、女子は、シャンパーニュ、ブロワ、ザクセン・バイエルン、カスティーリャ、シチリア・トゥールーズと有力な諸侯や王さまに嫁ぐことになります。言い方を変えれば、ヨーロッパのほとんど全ての名家は、アリエノールの血を引いていることになるのです。
そう。この後、戦争を繰り返しながら、イングランドとフランスは少しずつ領地を変えながらも、ボルドーは300年間「イングランド領」になるのでした。
ボルドーは大西洋に面して、大きな港を有する地理的な利点もありました。ボルドーの港から、樽に詰められたワインが、沢山イングランドに向かったことでしょう。現在でも、イギリス人がボルドーワインが大好きで、ボルドーは自分の国だったと感じる訳は、このアリエノールの存在がありました。
彼女は才知に長け、華麗で、力強く、強い意思を感じる女性です。歴史では、男性を中心にしたイメージが強いのですが、この時代のヨーロッパでは、このアリエノールが間違いなく主役。私が大好きな歴史上の人物です。
アリエノールは晩年、78歳になって、ピレネー山脈を越えて、スペインに嫁がせた娘・エレノアを訪ね、その娘のブランシュをフランス王になるルイ8世に嫁がせるということをやってのけます。すごいですね。
イギリス人のボルドーワイン好きから始まった今回のnote。女性でも、知力も財力もあれば、男性に遠慮なんてしていられない。昔の人はむしろもっと、自由に力強く生きていたのだ!と、結果、気づくことにもなりました。
参考文献:出口治明(2015)『世界史の10人』文芸春秋
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