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考える1日を考える

死について考える1日だった。

今日、三浦春馬さんの訃報を見た。
意識的に出演作品を観てるわけでもなかったのに、なんだか気持ちが重い。

銀魂2の鴨太郎の役が印象的だったなぁ。

そんな事をおもいながら、テレビでは音楽の日という生放送番組をやってたらしく、その切り抜きの動画がTwitter上に流れてくる。
三浦春馬さんと交友の深かった城田優さんが、気持ちを抑えるように歌っているのが印象的だった。

突然の悲報は、周りの人たちの気持ちが追い付かずに、最初は半信半疑。それから、深い悲しみが心に染み込んでくるわけだけど、それは何度味わっても、なんとも言えない鈍い重さがある。

自殺というのは、長い間物議をかもしている議題だし、未だにその決着もつかない。きっとこの先も、色んな人が色んな感情で言葉をぶつけて行くんだろうなぁと思う。それもそれでいい。

正直、自殺が悪だと思わない。死にたいほど辛い思いをしてるのに、明日も全てを我慢して生きろという方が酷だ。そんなひどい事を私は押し付ける気にはなれない。
もちろんそう陥る前にできることはあったのかもしれないけど。

「貴方が無駄に過ごした今日は昨日死んだ誰かが死ぬ程生きたかった明日」

この言葉が本当に嫌い。これは生きる事を望む側のエゴでしかない。
全ての人が、生きたいと思える環境で過ごし、毎日を素晴らしい気持ちで生きれるのなら、そんな幸せな世界は他にないだろう。
でも、そうじゃないのが現実だ。

私も生まれきたくなかったとこの現実が全てフィクションだと願う事はあったけど、自殺を選択する事は今までなかった。それは自分が臆病だったからだ。
だから、自殺を選択する人たちは本当に追い込まれた先にいるんだと思う。その血を吐くほど悩み抜いたであろう末に出た答えを、私は否定できない。

死ぬことはとても辛いかもしれない。(誰かにとっては、そうじゃないかもしれないが、、)
だとしても、少なくとも「死ぬ」以上につらい「生きる」がこの世の中には存在する。

だから、その人の選択を責める事はないし、救えなかった自分を責める事はない。そして、起きた事は受け止めることしか出来ない。
その人のその先の人生が、途切れてしまったことはとても悲しいし、関係のない私でも気持ちが落ち込んでしまっているけど。ただ、生きていたという事実が消える事はない。

いい加減エゴのぶつけ合いなんてやめたらいいのに。

、、というのも私のエゴ。


さて、今日はもうゆっくりしよう。何もしたくない日だ。



三浦春馬さん。ご冥福をお祈りします。

おわり

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