よくあるうつヌケの話①

10月になった。
10月は自分の誕生日月。

この歳になると特に嬉しくもない。
というか、もうだいぶ前から特に気にしないようにしている。

だって独り身なんだよ。
独り身なのに誕生日のことあれこれ考えるの、さらに寂しさが増すに決まってる。

推しの誕生日のほうがよっぽど嬉しい。
生まれてきてくれてありがとう!圧倒的感謝!!!

推しの話は置いといて…

自分の誕生日といえば、毎年思い出すことがある。
タイトルでお分かりだろう。

7年前の2011年、うつ発症。

今回はよくあるうつヌケの話です。

でも、うつだったことを人に話せるようになって、やっと克服できたと感じたので書いておく。
当時、仲の良かった友達にも隠していたから。

というわけで、少しお付き合いください。


■誕生日の翌日、会社に行けなくなった

2011年の10月初旬に弟の結婚式があり、家族と顔を会わせていたのだが
その時の会話から珍しく母親が何かを感じ取ったのかもしれない。

普段から電話なんて用がなけれがほぼしない、ましてや誕生日にわざわざ電話するなんてまずなかったのに、誕生日に電話がかかってきた。

たぶん会ったときに「あー、仕事辞めたい」って愚痴を言っていたのは覚えている。
あと、ため息をつきまくっていたのも自覚している。
私は単なる愚痴のつもりだった。でも、様子がおかしかったのかもしれない。

「そんなに嫌なら、(実家に)帰ってくれば?」
たしか、そんな内容の電話だった。

自分がなんて答えたのかも覚えていないが、普通に会話して「じゃあね」で電話を切った。
実家に帰るなんて、有り得ない。無理。性格的に田舎暮らしは合わない。そもそも仕事ないし。

でも、この母親の一言がトリガーになったのは間違いない。
翌日の月曜日、突然会社に行けなくなった。

思い返してみるとこれより数年前からいろんなことが少しずつ積み重なって、溜まりに溜まって決壊したような感じだった。

まずは決壊する少し前からの話をしてみようと思う。

2011年2月、7年働いた会社を辞めて新しい会社で働き始めた。
新しい会社といっても、実際には転籍。
事業譲渡に伴い、当時持っていた案件ごと別会社に異動した感じ。

この転籍に至るまでにもいろいろあるのだが、それはのちほど…

新しい職場で心機一転頑張ろう!!と思っていたのだが、
1か月後に東日本大震災が発生。

東北出身者なので、かなりショックだった。(ダメージ40)
節電と余震で東京でも寒い・暗い・不安が続く。(じわじわとダメージ10

出身地の青森では震災の被害は少なかったが、仙台で暮らしていたこともあったり、旅行好きの両親のおかげで東北各地の観光地は大体行ったことがあって、知っている場所があんな状態になって、何にもできない無力感が凄かった。
それに加え、東北にゆかりのない友人知人たちの他人事感を感じてしまって悲しかったのもある。

夏ごろ、乳がん疑惑が浮上する。(ダメージ40)

結果はがんではなかったけど、外科生検までやった。
乳輪に沿って2cmくらい切るだけだから、跡はほとんど残らないよと言われたけど、やっぱりちょっとショックだったし(当時30歳)、祖母を乳がんで亡くしているのでそれなりに不安もあった。
何よりこの時期、友人は出産、おめでた、弟は結婚するなどお祝い事が続いていて、周りはこんな浮かれてる状態なのに、自分はがん疑惑とかって…運悪すぎだろー……
とかなり落ち込んだ。

同時期に当時ファンだったジャニーズのファンクラブで、どうやらブラックリスト入りしていることが判明(ダメージ25)

何年もチケットが異様に取りづらくて、思い切って問い合わせたら4年前からブラックリスト入りしていた。

4年…。会費払ってる。こんな状態になっているのに、知らせてもくれない…。
自分で転売したことはない。当時の友人に譲ったチケットがオークションに出ていたらしい。
裏切られた感と、ファミクラの対応の悪さに怒り心頭…からの脱力感。

9月くらいから独りデスマーチが始まる。(ダメージ50)

コミュニケーションを取ってくれないエンジニア、仕事を放り出してライブに行くデザイナーを相手に、クソみたいな独自システムで孤軍奮闘のデスマーチ状態、さらに痔の手術で入院した同僚の業務のサポートをしている状態だった。

新しい職場に来る前のあれこれですでに心折れかけ、空元気と空回り状態だったのが、さらに半年かけて完全に心折れた状態になった。

折れるでしょ、これ!
悪いことって重なるときは重なるもの。

つづく

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