最後のじじ孝行

1日1ノートって決めたのに、さっそく破ってしまった。

(ノ_-;)ハア…
気を取り直して。

この前、ドラマ「この世界の片隅に」が最終回だった。
原作は未読、映画も見ていないけど、なんとなく気になって見始めたドラマだった。

映画が絶賛されていたので、まぁいろいろ批判はあるんだろうなと思っていたけれど、前情報を何もなしで見たのが良かったのかもしれない。
1話を見て、視聴継続決定!

何が刺さったのかというと、主人公すずの年齢が当時の自分の祖父母と同じくらいだったからかな。
おじいちゃんとおばあちゃんも、当時はこんな風に生活していたのかな…と想像したら、なんかグッとくるものがあった。
去年おじいちゃんが亡くなって、遺品整理したときに出てきた昔の写真を見たりしていたからかもしれない。

私にとって祖父母は核家族の多い現代人が想像するいわゆる「田舎のじいちゃん、ばあちゃん」ではない。
生まれてから高校を卒業して家を出るまで、ずっと一緒に暮らし、生活してきた内側の家族。
田舎なので曾祖母までいる3世代家族だった。

おばあちゃんは10年前、おじいちゃんは去年他界したが、ふたりから戦時中の話を聞いたことがなかった。
今になって聞いておけばよかったと思っている。

おじいちゃんの初盆のとき父が「昔聞いた話」みたいな感じで、ちらほらとこうだったらしいみたいなことを聞いた。
ちなみにおばあちゃんは昭和3年生まれ、おじいちゃんは大正15年生まれ。
おじいちゃんは年齢的に召集令状が来たわけでは(おそらく)ないが、戦争に行っている。

どうやら母親(私からみると曾祖母)に行けと言われたらしい。
私が物心ついたときからの記憶では、おじいちゃんとひいばあさんは本当に仲が悪かったのだが、どうやらこの戦争に行かされたというのが原因らしい。
長男なのに、どういうことだったのか今となっては分からない…。

戦争で相当嫌な思いをしたのか、その時のことをほとんど話さなかったと父は言っていた。
もともとあまり喋る人じゃなかったんだけど。

大陸から戻ってきて、九州にいたときに終戦を向かえたらしい。
九州のどこかは分からない。

ここでふと、、、

もし小倉にいたんだとしたら、
もしそこに原爆が落とされていたら、

あ。私、今ここに存在していなかったかも…

と、この歳になって初めて当時の戦争をリアリティをもって感じられたできことだった。

そして、ドラマ中にも出てきた森永のキャラメル。
おじいちゃんは亡くなるまで最後の2年ほど入院していて、お見舞いに欲しいものは?と聞くと、キャラメルが欲しいと言っていたそうだ。

元気だったころはそんな好物があったなんて知らなかったし、お見舞いに欲しいものを聞かれてもいらないって言いそうな性格だったので、
ちょっと意外で、やっぱり弱ってるんだなと感じて少し悲しく思ったりもしたし、やっぱり子供の頃に気持ちが戻ったりするのかなとも思ったのでした。

葬式で棺の中に入れるお札(普通の紙に好きな金額を書くだけ)を作っているとき、お金じゃなくて絵でもいいよと言われたのでキャラメルの絵を描いて入れてあげた。最後のじじ孝行。


#日記 #エッセイ #コラム

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