よくあるうつヌケの話②~実家に帰る

2011年の10月、誕生日の翌日から会社に行けなくなった。

実はお腹が痛いとか、頭痛がするとか、体が重いとか、眠れないとか身体的な不調は全くなくて。本当に文字通り、ただ行けない。

この10日後くらいに、独りデスマーチしていた案件のリリース日が迫っていたのだが「もう、やりたくない(抜け殻)」という状態だった。

ここだけ見ると、ただの無責任のように見えてしまうかもしれないが、
それまで責任感のみが頭と体を動かしていたのに、それがすこーんと無くなったような感じ。

うつに片足突っ込み始めてから完全に落ちるまで、自分の脳内での口癖があった。

「頑張らなきゃ」

今思うと、自分が自分にかけている呪いの言葉なんだけど、当時はため息とセットでこの言葉を頭の中で唱えていた。

この「〇〇しなければいけない」思考は本当に良くない。
これに捕らわれるようになったら、ちょっとメンタル的に危険な傾向にある気がする。

最初は当日に体調不良で休むことを伝えていたが、もう休職することを考えていた。
休職するには病院に行って診断書をもらわないといけない。
でも、心療内科にかかるということに抵抗感があってすごく葛藤した。

意を決して診断書をもらい、会社へ休職したいと伝える。
人事の対応は早かったし丁寧だった。
(たぶん、この業種は心を病んで休職する人が多い。在籍者に常に数人はいる状態で慣れていただからだと思う。)

仕事の引継ぎとかをどうしたのかもう覚えていないけど、このことに対して迷惑をかけてしまうことを申し訳ないと思う感情がなくなってた。
とにかく、仕事から離れたい一心。シャットダウンしたかった。

休職中の会社との連絡は月に1回、メールか電話のみ。
翌月どうするのか決めるという感じだったように思う。

休職になってすぐ、11月に入ってから実家に帰った。
母親に話したら「あら、そう」くらいの感じだったような気がする。

取り敢えずボロボロになった心身を癒したくて、期限を決めずに帰省したのだが、特に癒されずに2週間くらいで戻ってくることに。

なぜ癒されなかったかというと、

・小雪もちらつく11月。寒いし日照時間も少ない。
寒くて外に出たくない。
そして散歩に出ようものなら近所の人に失礼だろ!っていうくらいジロジロ見られる。田舎は車社会なので、若い人が徒歩で歩いているとすごく目立つし、どこの(家の)誰だ?という感じになるのだ。
そして、うつの人間にセロトニンを作ってくれる太陽はとても重要だ。

・母親にうつの人間への間違った対処法をされる
何かをするエネルギーが切れた人間を無理やり外に連れ出そうとする。その際に、化粧ぐらいすればいいのにとか言ってしまう。
本人は良かれと思って言っているのだろうが、完全なる逆効果でストレスになってしまった。

・共同生活苦手かも…
元々の性格のせいか、長い一人暮らしのせいなのか、ご飯とお風呂の時間を固定されるのが苦痛に…。
そして今まで何とも思っていなかった、他人のあれやこれがやたら気になりイライラする。
例えば、母親はいわゆる”クチャラー”で口を開けて咀嚼する癖があるのだが、これが一度気になると、もうストレスMAX。

ダメだ!全然癒されない、ストレス溜まる、東京帰ろう。
となって、11月下旬には戻ってきてしまった。

つづく


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