私が適応障害になってから治るまでやったこと

はい皆さんこんにちは、八郎です。

今回は私が会社員時代、からだをこわして適応障害になってしごとをやめるところまでのお話をします。

よく、メンタル弱そうにはみえないなどと言われますが、

実はこの「適応障害」だれでもかかってしまう病気なのでみなさんの参考になればうれしいです!!

なぜ「適応障害」になってしまったのか…

最初に異変をかんじたのは7月のとある日でした。

当時、会社員で工場の作業員として働いていた頃の話です。

仕事は昼勤、夜勤の二交代でしたね。

身体がだるく、おもりを背負ってるような状態になりました。

まだこれくらいなら、かぜかな?

となりますよね。

そのあと、1ヶ月がたって食欲が無くなりました。

食べ物がのどをとおらなくなりました、

ひどく無気力な状態だったような気がします。

その頃、僕はバンド活動をしており休みの日に練習に行ってました。

練習場所はどこかというと大阪の心斎橋です笑

ちなみに僕は滋賀の片田舎に住んでおりまして片道約2時間かかりました。

この時点でおまえ、そら身体壊すわww

って人いたらごめんなさい笑

体力には自信があったのでなんとかなると思ってました…

おそらく移動時間もしらないあいだにストレスになっていたんでしょう。

自然とすいみん時間をとれなくなりました。

1ヶ月後の9月です。

その頃会社の方とバンドで問題が発生していて
ストレスをダブルでうけるようになっていたの
ですがこれがかなりしんどかったですね。

仕事をときどき休むようになりました。

普通におきあがるのに30分以上かかるようになっていたからです。

おそらくこの時うつ状態だったんでしょう。

ネガティブなことばかり考えてしまっていました。

9月の中頃だったかな?

朝、仕事に行くために起きあがろうとしたらまったく身体がいうことききませんでした。

あれ?

いつもと違う感覚だな、頭が回らない…

気がついたら1時間くらい経ってましたね。

さすがにまずいと思ってその日は仕事を休んで、精神科に行きました。

そこで初めて適応障害と診断されました。

お医者さんに言われたのはとりあえず仕事を休職しなさいとのことでした、バンドの方も辞めてストレスになっているものを全てなくしてしまいました。

休むといっても生活費やべぇってなったんですけど、傷病手当っていうのがあって健康保健の給付金みたいなやつでなんとか生活する事もできて非常に助けられましたね。

みんなも、うつ病や適応障害とかなってしまったら受給できるからよかったら調べてみてください!!

そのかわり傷病手当は口座に振り込まれるまで2、3ヶ月かかったのでできれば貯金があれば助かると思います。

そんなこんなで休職中は徹底的にだらけていました笑

こんなことしてていいのかな?
と不安になったりはしましたが、これが一番体調が楽になったかも☺️

仕事も3ヶ月休職した後、退職しました。

また、職場に戻って再発するよりは別の職場に行く方がいいかなと判断しましたね。

あと、助かったところといえば適応障害が治ってから失業保険がすぐに降りたってところですね。

普通、自己都合退職なら3ヶ月待機期間があるんですけど僕の場合は「特定理由離職者」だったかな?

これに当てはまるから会社都合退職と一緒ですぐ失業保険もおりてきました。

ほんとに日本の国の制度には助けられたなと今でも感謝してます。

皆さんも本当に身体の調子が悪くなったら迷わずに仕事を休職するなり、退職するなりした方がいいですよ。

僕の場合は結構危なくもう少し放置していたらうつ病になって5年、10年人生を無駄にするところでした。

正直、人生なんてやり直しは簡単にできるから…

身体を常に大事にしていきましょう✨

これを見た人が少しでも精神的助けになれば幸いです!!

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