教職を取るかやめるか

教職課程を履修している。
なぜかと問われてもはっきりした理由を示すことができない。しいて言えば、今までお世話になった先生たちがかっこよかったからかな。それと、教員免許を持っているのはかっこいいから。正直、この大学に入って何の課程も取らずに卒業していくのは愚かだと思う。しかし、だからと言って全く実用性のない課程を取る必要もない。

そんなこんなで一年の後期から教職を取り始めたが、二年前期になった今、自分の中で強烈な葛藤と向き合っている。

向いていない、のだ。
教員という職業が自分に向いていると、一切思えないのだ。これは英語の教科ではなく、教職の教科を勉強しているときに自分の心の中に大きく渦巻いている懊悩である。例えば道徳。自分に道徳性というものが備わっているだろうか。文化祭のアトラクションを決めるのに先生と大バトルした人間が、道徳の時間に教壇に立てるのだろうか。教授は、道徳は教えるものではなく、子どもたちと一緒に成長していくものであるという。不安である。道徳の時間での発言、思索は自由であると言いつつも子どもたちに学ばせるべきことが提示されているのだ。これはかなりキツい。

今日、ある出来事が起きた。
教育原理の時間だった。ざっくり言うと、教育の歴史を学ぶ授業だ。授業の冒頭、前回の授業を振り返る時間があった。その時に、先生が学生に聞く流れになった。その時に指名されたのが私だった。私はそれを説明した。その後、先生から質問された。質問の内容は覚えていないが、私はそれにうまく答えることができなかった。マイクを持ち、喋っている間は地獄だった。いつまで話しても終着点が見当たらない。周りの学生は各々内職をしている。静かな教室。私のことを見ているのは先生と隣に座る友人のみ。内心では、違うことをべらべらべらべら喋っていることは分かりきっていた。でも、止められなかった。ふにゃふにゃした気持ちで何とか着地すると

「70点ですね。」

ブチ殺すぞ、と思った。しかし、私の口から出たのは

「あ〜」

という言葉だった。妙に納得していたのだ。

この70点は自分が教職というものにどれだけ向き合っているかという数字なのではないかと思った。70点。微妙な点数だ。可もなく不可も無い。しかし30点を落としてしまっているということに一抹の不安を感じる。そういうものなのか、と思った。

教職の授業はムカつくし、ダルい。けど子どもは好きだし、教員免許を持っているのはかっこいい。だから履修をやめる決心はつかない。この70点が自分に与えた影響の大きさはまだわからない。

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