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私が合理主義者になった訳。INTJ


ー感情であることを大事にしていた。
私は友情や努力、純愛という言葉が大嫌いです。そう思い始めたのは高校生になってからでした。
努力が報われなければ落ち込んでしまうし、好きな人に優しくしたいという想いを持てば持つほど、上手くいきません。

人として正しく、そして良識に従おうとするほど、生きていく上での悩みは増えていく気がします。

だから綺麗事は嫌いでした。

しかし、そんな大嫌いな綺麗事と私は決別しきれずにいました。人らしい感情を持っていること、そこから逸脱し、自分がこうだと思っている生き方を選ぶには、勇気と時間が必要でした。

ー常識ではなく事実に即する
世間一般にこうだと言われているから、また親の教えや先生の教えは、そう簡単に消えるものではありません。常識や良識、綺麗事によって人は型にはまっていきます。

その型から抜け出すきっかけとなったのが、失恋でした。中学の時から、モテずじまいで、好きな子にはことごとく彼氏ができて、彼氏は友達だったり、クラスメイトだったりしました。

嫉妬や憎悪で攻撃してやろうという気はありません。ただ悲劇のヒロインを演じることに浸っていました。

そして、大学3年の頃、アルバイトで仲の良かった異性に告白して、振られました。

友人に話して、気を休めることができましたが、自分が情けないようにも感じました。

今まで、優しくしようと思ったことが裏目に出たこと、真面目に正しく生きようと思うことが私を悩ませていたこと、失恋経験、その全てがフラッシュバックして、私にある強い意志を抱かせました。

何となく、ではなく確固たる根拠や揺るぎない事実を自身の生き方の土台とすること。

それは統計学であり、今目の前で起こっていることです。例えば恋愛であっても、誰かの主観的なアドバイスではなくて、論文や学術誌など、客観的な事実に基づいて行動する様になりました。

上司に怒られたとしても、上司の言うことを正面から受け止めることはありません。彼の言っていることが絶対的に正しいと証明することはできないのです。

なので、行動Aをしたら現象Bが起きた。というよに、より客観的に、より淡白に、データチックに物事を捉えるようになりました。

そして、この思想が所謂、常識に反してくるのです。しかし、私は自身の意志で、考え方を変えることに踏み切りました。その先に明るい人生が待っていると信じて。


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