とある狭い部屋から外に出て感じたこと

築91年の家に移住しました

少し前、群馬県桐生市に移住し、店舗を持つことができました。秋頃から家の片付けや引っ越し、開店準備を経て、開店へと、もうドタバタ。
ようやく少し落ち着いてきました。

これまで住んでいた街(さいたま市)と比べ、人口十分の一以下。周り中の家に古道具やありそうな街で、小さな古物雑貨の店が成り立ってゆくのか不安が膨らみます。
でも、始めちゃいましたし 笑
ゆっくりのんびり丁寧に生きてみたいという夢は、叶いそうな…。そんな期待も膨らんでいます。
桐生市という街も、築91年の家もとても気に入っているので、長くここに在れるようにと思います。

ガラスの部屋で

先日所用のため都内に出かけました
ほんの2か月前まではさいたま市にいたんですが、
都内>>>さいたま市>>桐生市 という人口密度です。
都会は人が多くてお祭りかと思いました 笑
そして夜の明るさの違いにもびっくり、もう目がくらみそうです。

長い待ち時間があったのでカフェで一休み
お察しいただけるかと思いますが、チェーン系カフェの一番奥のガラスで仕切られている部屋が私の目的地。
見回すと小さなテーブルが8卓ほど、このスペースで座って珈琲が飲めるのは、今やありがたく貴重です。

周囲を見回すと、みなオヒトリサマで、静かにスマホを見つめて猫背になっています。グレーのレンガを模した壁、電子タバコのCMが繰り返し流れている音のないモニター、時折おかしな揺れ方をするサーキュレーター。よくわからない絵が描かれた4枚の額絵。
この部屋を出た時に聞いてみたら、どれか一つでも覚えている人いるのかなぁ、なんてどうでもいいことを考えました。

隣の席の方が落としたペンが、私の足もとへ。拾ってあげたかったのですが、自分で拾ってもらう方が他テーブル等への影響がなさそうなので諦めました。暫くして次は私がその方の足元へ落とし物をしてしまったのですが状況は同じ。違ったのは、二人で同時にフフッと笑い声が漏れてしまったこと。隣の席の方も同じようなことを思っていたのかなと思ったら嬉しくなりました。
都会のガラス部屋らしい、ほんのちょっとの疑似仲間感と心地よい孤独感を感じることができました。

時間が消費されるかたち

あまり読む気のしない本をカタチだけ机の上で開き、1時間半ほど過ごしました。この待ち時間はスマホのバッテリー交換の待ち時間でした。そうでなければ、私も猫背仲間です。
ボ~っとするのは得意です。桐生でもお客様が一人も来ない日もあっという間に時が過ぎます。
ガラス部屋のモニターをボ~っと眺めていると、清潔感たっぷりの青年がなにやらしゃべっています。ベビーピンクの薄いセーターを着て、可憐だけどキラキラ光る存在感のあるピアスをしていました。オシャレな男の子なのか、心は女の子なのか、どちらでもなくどちらでもあるのか、音声が聞こえないのでわかりませんでした。人という種、遺伝子学的にはたったの2種類なんだから、それがどう交わろうとどう変化しようとあまり気にしていません。なので、どうでもよいこと(投げやりな意味でなく、どうでも大丈夫の意味です)ですが、なんとなく都会っぽいなぁと思いました。

そろそろピックアップの時間。外にでると、イルミネーションがとても綺麗で、また目が眩みそうでした

都会での時間は、進んだ先で後ろを振り返るとそこに何もなくて真っ白まっさらになっているように消えていきます。たくさんの人が右に左に進み、後ろがまたまっさらになっていく。そこに前から後ろからまた人が来て、その後ろがまっさらになっていく。モザイク模様のようです

桐生の時間は、ぼわ~んと広がっていき、粒子がほどけるように端から消えていく。そんな風に勝手に思っています。
これは私の独り言。皆さんの時間はどんな風に消えていくのでしょうか

少し懐かしい生活雑貨の店
淡竹 店主










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