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触れる

うだるような、暑い日のことだった。

たまたま有休を取っていた私は、朝の10時を過ぎてもなお、惰眠を貪っていた。

枕元には、寝落ちるまで読んでいたギャグ漫画。
同居している末妹は、ゼミ合宿の最中だ。
どれだけオフトゥンと同化していても、誰にも叱られない。

贅の限りを尽くした、最高の休日。

そんなとき、スマホの目覚ましが鳴った。前日に切り忘れていたらしい。
惰眠貪りタイム・延長戦。そんな誘惑を追い払い、画面をスワイプしてアラームを止める。

寝ぼけ眼のまま通知欄を見ると、そこには真ん中の妹から、姉妹のLINEグループへの新着メッセージ。(私のところは三姉妹なのだ)
何も考えずに、アプリを開く。

一瞬、思考が停止する。

そして次の瞬間、私は布団を飛び出した。

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私は幼少期を、博多で過ごした。そしてその間、父方の祖母(おばあちゃん)にお世話になっていたのだ。

数年前から、彼女が予断を許さない容態であることは分かっていた。
最後にお見舞いに行ったときには、もう会うことは無いかもしれない、と腹をくくっていた。
Xデーに備え、長い時間をかけて心の準備をしてきた。

そうは言うものの、いざ身内を失ったとき、自分がこんなにも冷静になれるだなんて、思ってもみなかった。

会社に連絡をし、忌引き休暇を取る。
家族全員分の宿を予約する。
喪服と数珠、数日分の着替えを用意する。
2人分の新幹線を確保する。
(父、母と真ん中の妹は、それぞれバラバラのところにいたため、現地・博多で合流することになった)

ここまでわずか1時間と少し。
今までのどんな仕事よりも要領よく進めている自分に、少し辟易する。スマートであるということが、悲しむべき日に相応しくないように感じた。

昼過ぎ頃。
末妹が、予定よりも数時間早く帰宅して、驚く姉。
行きは貸切バスでの移動だったため、帰れないかと思っていたところ、親切な軽トラの運ちゃんが、近くの駅まで乗せてくれたらしい。もう軽トラに足を向けて寝られない。

新幹線の時間まで、まだ少しある。
朝からあちこちを駆けずり回って、私たちは疲れていた。

近くのサーティワンに飛び込んで、スモールサイズのアイスを2つ注文する。すぐに食べられるように、コーンは無しね、と妹に声を掛ける。

5分くらいで糖分を摂取したあと、私たちはスーツケースの車輪をけたたましく鳴らしながら、バタバタと移動を開始する。

博多駅に着いたのは、夜の22時過ぎ。
改札前で家族が待っているのを見つけ、安堵で全身の力が抜けそうになる。
そのままビジネスホテルに行き、私たちは泥のように眠った。

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翌日のお通夜を滞りなく終え、更に次の日の、お葬式。
私は葬式会場に着くなり、そっと棺を覗き込む。
そして強烈な違和感に襲われた。

おばあちゃんの死に化粧が、えげつなく濃い。フレディ・マーキュリーの胸毛とタイマン張れるくらい、濃い。
脳内でフレディが「おくりびと」を演奏し始めかねない。

お母さんのメイク道具を借りて、初めて化粧をしてみた中高生、と言えば伝わるだろうか。

肌のトーンに合ってないファンデ。
リンゴのように真っ赤な頬紅。
「ペンキ塗りたて」の張り紙を探すくらい、テッカテカなグロス。
人を突き刺せそうなくらい鋭利なハネの、細眉。

納棺師さん…流石にこれは、おばあちゃん草葉の陰で大号泣待ったなしよ……。

そうして絶句しているところに横入りしてきたのが、私の伯母、父の姉である。

「何これ!?納棺師さん、誰か別の人の遺影見ながら化粧したっちゃないと?????」

彼女は、ドスの利いた博多弁でまくしたて、足を踏み鳴らしながら棺に近づく。
そうして、おもむろに手を伸ばしたかと思えば、

何と、おばあちゃんの顔をグイグイグイ、とこすり出したのである。

おそらく、その場で彼女の言動を目にした全ての人が、心の中で
「ええええええええええええええ」
と叫んだと思う。

実際父は心の中に留めることができず「ええええええええええええええ」と叫びながら光の速さで伯母のところに飛んでいった。おとん、腰の調子が悪いとか言っとったけど、そんなに機敏に動けるなんて娘は知らんかったよ。

ところが、伯母が父に引き剥がされるようにして、その手を棺から離したとき、中を覗き込んだ私は、声にならない声を挙げた。

おばあちゃんは、私がよく知った表情になっていた。
化粧っ気のない白い肌に、ほんのりとした紅がよく似合う。
少女のように、素朴で愛らしくて綺麗な、彼女そのものだった。

正直なところ、自分のメイク道具を取りに帰ろうと思っていた。でも、そうしなくて良かった。きっと私のメイクブラシは、どんなに手を尽くしたとしても、伯母のゴッドハンドに敵わない。

「やっぱり、我が子の手で触(ふ)れるのが、一番間違いないけんね」
伯母の柔らかな博多弁が、畳の部屋に響いた。

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その日の夜、私はほろ酔いでホテルに帰った。
お葬式のあと、親戚一同で飲んだのだけど、思ったよりアルコールの回りが早かった。慣れないことの連続で、疲れていたのかもしれない。

コンビニで水を買って戻ってくると、母が先に寝ていた。
彼女は眠りが浅いので、起こさないようにしながらベッドに腰掛ける。

母の頬に触れる。私はこの人の娘なんだ、という気持ちでいっぱいになる。

博多の夏夜は、蒸し暑い。
でも、このうざったい暑苦しさが、私は嫌いになれない。

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