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選書のカギは「本棚作り」にあり
私には一つだけ、自慢できることがある。
好き嫌いが、本当にないのだ。
食べ物然り、音楽然り。勧められたら何でもついばみ、それなりに楽しむ。勧めてくれた本人よりも、そのモノやサービスを好きになることもある。
とりわけ本に関しては雑食の極みで、人からレコメンドしてもらった本は一通り買い揃える(そんでもって積読がバベルの塔と化す)。ただそれだけでは種類が偏ると思い、ときおりフラリと実店舗を訪れては、本のジャケ買いをすることもある。
小説、ノンフィクション、ビジネス書、エッセイ、SF、ミステリ……。本棚の統一感のなさたるや、書店のいろんなジャンルの棚から数冊ずつランダムに本を抜いてきたかのようだ。
けれども、実は何も考えずに本を選んでいるわけではない。自分はひとつだけ、選書における信条を持っている。
それは「その本が入ったら、棚は心地よさそうか」ということだ。
別に本棚に人格が宿っているわけではない。
けれど、その一冊が入ることで、本棚が水を得た魚のようになり、他の本も輝き出すことがある。
逆もまた然りで、せっかく静謐な輝きを放っていた本棚が、一冊の本が入ることで一気にくすんでしまうこともある。
シリーズものであるかどうかは関係なく、本は一冊では完結しない。他の本と互いに影響を与え合いながら、読み手や社会そのものの知識の網の目を広げていくのだ。
ちょっとやそっとでは破れない、堅牢な知の網目を作るためには、本棚のなかでどんな本同士が隣り合っているか、ということが大切だ。
おなじ空間に共存する本次第で、読み手にとっての本の命運は全く異なったものになる。
本棚が蜘蛛の巣のようであれば、私はその巣を紡ぐ蜘蛛だ。時代の流れや自分の思考の変化に応じて、本棚のかたちを変えていく。
けれど、どんなに姿かたちは移ろっても、自分の知の網目をもろいものにしないために、棚作りのセオリーだけは守り続けたいと思うのだ。
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