幸せに「なりたい」→幸せ「である」ということに気づく

皆さんは「幸せになりたい」でしょうか?
おそらく一度は幸せになりたいと思ったことがあると思います。

僕ももちろんあります。

「お金持ちになりたい」
「結婚して家族をもちたい」
人それぞれの幸せの形に違いはあると思いますが、「幸せになりたい」という思いは同じで、その幸せの形に正解、不正解はないと思います。

しかし、タイトルにある通りで、私は幸せに「なりたい」だと幸せになる「ハードルを高く」してしまっていて、生きづらくなり、結果的に幸せになることが難しいのではないかと思います。

日本はかなり恵まれた国で、変な話何もしなくても生きていけてしまう国でもあります。
色んな保障があり、プライドも捨てて贅沢をしなければ働かなくてもお金はもらえて生活できます。

私たちはしばしば「明日が来ることが当たり前」に感じてしまっていることがあると思います。

他の国ではそんなことはなく、明日どうやって食べていくか、そもそも明日生きているのかすら分からないことが多々あります。
そういう所の人達は次の日に目が覚めた時点で、
「生きている!」ということに幸せを感じます。
「ご飯を食べられる」ことに幸せを感じます。

私たちは普段当たり前にやってくる今日や、
当たり前にご飯を食べられることに幸せを感じなくなっているだけだと思います。

幸せに「なる」ではなく、

幸せ「である」だと私は思います。

幸せとは既に日々色んなところにあって、恵まれた日本にいる私たちはその感覚が鈍って?しまい、当たり前になってしまい、幸せだと感じなくなってしまっていて、
逆にいうと、既に「幸せである」と思う、意識をするだけでその幸せに「気づく」ことができ結果的に「幸せになれる」のではないかなと思います。

なんとなく、幸せになりたい、今自分は不幸せだと感じている人がもしいるならば、今からこの考え方を取り入れてみてほしいです。

これは、24歳で結婚し、25歳で新築のマイホームを購入して、よくある「幸せになる」ことを経験したけど幸せにはなれなかった、

具体的にいうと幸せではあったのですが一時的でしかなくて、「もっと幸せになるには」と考えてしまい、いま幸せが「ある」と気づけず苦しんだ私が感じたことです。

これを読んでくれた方が、いまある幸せに気づき、少しでも生きやすくなってくれたら嬉しいです。


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