お絵かきAIとアートの偶然性

昨今話題のお絵描きAI、百家争鳴の論議を呼び起こしているようです。
この記事は、そんなお絵描きAIについて、AIにもアートにも別に詳しくない素人が思ったことを書いていきます。

まず、お絵描きAIとはどんなものか。
ざっくりいえば、人間がお題や希望をキーワードとして入力すると、AIがそれっぽい絵を出力する、というものです。
そのそれっぽさが急激にレベルアップしたので注目されているわけですね。
とはいえ、何年か前には既にレンブラントの”新作”を描いたAIがニュースになってたはずです。
ですから、前からあった技術が一般に普及しつつあるという局面なのかなと思います。

で、AIによるイラスト作成が普及するとイラストレーターが廃業しちゃうんじゃないか、とか著作権はどうなるのか、とか新しい性癖が発見されたとかの具体論は素人には荷が勝ちすぎているので、すみませんがパスさせてください・・・。
なので抽象的な話を。

私の思うアートの定義なのですが、
「作者が必然性を与えたモノ」
です。
つまり、作者が「こうでなければならない」と作ったものです。

絵でいうと、
この(キャンバス、画用紙、壁など)に、
この(絵の具、顔料、ペンキなど)で、
この(モチーフ、構図、色彩など)を描き、
この(評価、印象、感情など)を呼び起こしたい。
みたいな感じです。

これは(私の思いつく限り)他の分野でも同様なのではないか、と考えています。
少なくとも「アート=美しいもの」とするよりは良いと思っています。
美しい原生林や「品種改良されていない生物」、星空、海などはアートのモチーフにはなっても、それ自体はアートじゃないからです。
そもそもアートは人工という意味を含有しますしね。

そして、「こうしたい」を表現するためには、様々なツールが必要です。
それは絵筆や彫刻刀だったり、自分の肉体そのものだったりします。
そしてツールを使って出力しようとすれば、必ず偶然性が紛れ込みます。
例えば、絵の具のにじみや手ブレ、混色の出来栄えなどです。

これに対する一つの態度としては、なるべく偶然性を持たないように、脳内のイメージをそのまま作品にしようとするものです。
油画が西洋美術の王道になったのは、絵の具のにじみがなかったり、重ね塗りによって発色を精度良くコントロールできるといった利点も手伝ったでしょう。

もう一方の態度としては、偶然性を許容し逆用する態度です。
水墨画や日本画には、たらしこみという手法が有り、にじみ方を利用して描こうとします。
他にも、書道では勢いよく筆を走らせ、墨汁の飛沫を含めて作品とすることもあります。
極端な例で言えば、絵の具をつけた筆を振って、飛び散った絵の具の形を作品とする現代アートもあります。

どちらにしても、偶然性がある以上、当然思ったものとは違うものが出来上がります。
気に入らないものは破棄されて作品になりません。
逆に思った以上に良いものができることもあります。
作者の理想に沿うものだけが作品になるわけです。

私が思うアートの制作手順は
①頭の中に「こんな作品が作りたい」と思い浮かべる
②ツールを使って偶然性を排したり、利用したりして制作する
③出来上がったものを評価し作品にするかボツにするか決める
というものです。

こう考えると昨今のお絵かきAIは全く異質なものに映るかもしれませんが、あくまで一つのツールに過ぎないと私は思います。
AIにできることが、上記の②だけだからです。
AIには、こんな作品が欲しいという理想はありません。
AIには、出力したモノの価値判断はできません。
やることは「与えられたキーワード(人間の理想)」にもとづいて「ランダムにそれっぽく」作成した画像を提示するだけです。
その中から、人間が評価して作品と認定するわけです。

ここで、「キーワードに”基づいて”画像を生成する」点ですが、ここにはAIがそれまでに学習した要素が影響します。
しかし、それもツールの範囲を出ないと思います。
例えば単純なAIに「赤い画像を生成せよ」と命じたとします。
すると、RGBバランスで"赤っぽい色"を作りながら、それぞれのピクセルを埋め尽くすことになります。
次に、「画像の下半分は青にせよ」と命じます。
結果は上が赤で、下が青っぽい画像になります。
しかし、AIはあくまで条件の範囲内でランダムに色を割り当てているだけなので、生成するたびに違う色合いのものができます。
それを見た人間が、これは「夕焼けの海」だと解釈し、価値を与えたときに初めて作品になるわけです。
もちろん、「夕焼けの海」を作りたいなら、さっきの方法はかなり下手くそなやり方です。
もっと具体的に「夕日」などの指定をするべきであり、「夕日」という言葉に対する適切な条件を教えたりすべきでしょう。
このキーワードに対する反応の仕方が「非常に良くなった(一般的なイメージに近づいた)」ので特別にAIと名付けられたツールとして独立したのだと思います。
そして、反応の仕方はAIごとに異なった特徴があります。
ここに"人格"みたいなものを見るのは当たらないと思います。
ツール次第で作品の印象がガラリと変わって見えるというのは、別に不思議はないと思います。
そもそも現在のお絵かきAIに、人格などという大層なものが発生する余地はないはずです。

AIによる作品制作は陶芸家の仕事にも似ている気がします。
陶芸家は粘土を成形して、釉薬をかけて焼きますが、焼き上がるまで成功するかどうかは不明です。
なんなら、焼くまでの過程を弟子にやらせる場合もあると思います。
そして上手くいかなければ、容赦なくぶち割って次の制作に取りかかるわけです。
陶芸家の真価は、なるべくうまく行きそうな原型を作る経験知や直感力、出来上がったモノが良いか悪いかを判定する審美眼にあるのではないかと思います。

そして、AIによる作品制作にも
①キーワードの入力における「創意工夫」
②AIが作成した画像に対する「評価」
という同様の過程があります。
やはり、人間が「かくあれかし」と願わない限り作品が生まれない以上、「AIの作品」は存在しないのだと思います。

つらつら書いてきましたが、個人的にはAIを利用した絵が増えることは良いことだと思います。
これまで、素晴らしいアイデアを思いつきながら、絵を描くスキルを持たなかった人たちがイメージを直接発信できるようになる。
これは、文字の読み書きが普及して、誰でも発想を書き留められるようになったことに似ている気がします。
もちろん手軽に生成できる分、安易な感じのジャンクな絵が氾濫するかもしれません。
しかし、それよりも斬新な傑作が生み出される可能性に期待しています。

以上とりとめのない話でしたが、お読みいただきありがとうございました。

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