ドラえもんはのび太の成長をジャマしてる?

このノートでは、「ドラえもんはのび太を甘やかしていて、のび太の自立心が育っていない」といった類いの批評にたいして、ドラえもん歴20年くらいの私が反論を書いてみたいと思います。

さて、タイトルのような疑問は結構な方が抱いたことがあるのではないでしょうか?
日本人だとあまりないかもしれませんが、アメリカ等では一般的な感想のようです。
長年アメリカでは「ドラえもんを観ると子供の自立心に悪影響がある」との主張があり、それゆえアニメの全国的な放映につながらなかったという話は結構有名です。
(現在は、放映されているそうなので変わったのかもしれませんが)

しかし!
ここで!
あえて言いたい!

「ドラえもんこそが、のび太の自立心の根源である」
と!

何を熱くなってるんだとお思いでしょうが、少し我慢して読んでください。

ドラえもんの始まりはざっくり言えば、

①のび太は就職に失敗して、起業したが(花火の不始末で)倒産し、莫大な借金を作ってしまう
②それが孫の孫セワシの代まで続く
③その未来を変えるためにドラえもんがのび太をサポートする

という感じです。
どうでしょう、確かに大失敗はしていますが、就職に失敗したからと言って自ら起業するという大胆さ、そうそう真似できるもんじゃありません。
実はのび太はドラえもんがいなくとも「自立心」は十分持っているとも考えられます。
ドラえもんは、のび太に自立心を「持たせる」のではなく「引き出す」存在なのだと思います(ここ伏線です)。

しかし、「結局、ドラえもんはひみつ道具で甘やかしてるじゃないか」という反論があるでしょう。
まずは、ドラえもんの導入の典型的なパターンを見てみましょう。
ざっくり言えばこんな感じです。

①のび太が失敗する(ジャイアンにいじめられる、テストで0点をとるetc)
②ドラえもんに助けを求める
③ドラえもんは一旦断り、自分で頑張るように促す
④のび太は、どうしても無理だと理屈をこねたり、泣きついたりする
⑤ドラえもんが仕方ないなぁという雰囲気で道具を出す

こんな感じでしょうか。
(もちろん、ドラえもんも乗り気であったり、その他の事情でひみつ道具を出すことも多々あります)
基本的なスタンスとして、決してドラえもんはのび太を甘やかそうとは思っていません。
ドラえもんがのび太にお説教するシーンはごまんとあります。
中には辛辣すぎて、ネットミームになっているものもあります。

例1
の「おねがいがあるんだけど」
ド「だめ。」

例2
ド「日本じゅうがきみのレベルに落ちたらこの世の終わりだぞ!!」

例3
ド「アホかきみは」

などですね。いい毒舌っぷりです。

この「毒舌やお説教」と「ひみつ道具を出してあげる優しさ」、この一見矛盾した対応が大事なのです。

ドラえもんにおいて、のび太にお説教をする存在としては先生やママがいます。先生やママは「大人」として厳しい言葉を投げかけますが、ドラえもんのような直接的な罵倒はしません。

それゆえにのび太は基本的に逃げ出すか平謝りするしかないわけです。
一方ドラえもんはどちらかといえば「子供」っぽく、感情的に接しています。つまり、ドラえもんはのび太と対等な友達として描かれているのです。実際、のび太がドラえもんとの関係を語る時は一貫して「友人だ」と言っています。

友人であればこそ、本音で語り合えるわけです。
ドラえもんは、のび太に成長して欲しいと思えばお説教もするし、本当に困っていれば助けてあげたくなる、ときには大喧嘩もする。
「大人」として厳しく接する役目は先生やママだけで十分なのです。

ところで、のび太の一番の友達は誰でしょうか?

スネ夫やジャイアン?
友達ではあるでしょうが、いじめっ子でもあります。
しずかちゃん?
友達ですが、嫌われないように取り繕うことも多いです。

他にも友人は登場しますが、一番はドラえもんをおいて他にはいないと確信しています。
なぜなら、悔しくて泣きつくことも、大失敗をして落ち込むことも、ムシャクシャして怒りをぶつけることも、もちろん楽しい気持ちや嬉しい気持ちを伝えることも、一番素直にできる相手だからです。

つまり、「ドラえもん」という作品において、親友・友情を体現するのがドラえもんなのです。

さて、長くなりましたが
「ドラえもんは友情の象徴的存在である」
という考えは了解していただけたでしょうか…?
いただけましたよね!

というわけで、最初に述べた
ドラえもんはのび太の自立心を「引き出す」存在だ
の意味するところを説明します。

のび太は基本的にバイタリティの高い人間です。
想像してみてください。
もし自分がのび太のように、
「小学校のテストは0点だらけ」
「スポーツの類いは一切ダメ」
「芸術の才能もてんでない」
「顔もマンガみたい」
「ガキ大将や金持ちの子に毎日のようにいじめられる」
という人生だったら。
正直私は耐えられる気がしません。
それでものび太は何度失敗しても、その後にはケロリとしています。

これについては作中でも

・幼少期に亡くなった大好きなおばあちゃんに、何度でも起き上がる「ダルマになる」と宣言した原体験

・「45年後ののび太」の言葉「きみはこれからも何度もつまづく。でもそのたびに立ち直る強さももってるんだよ」という半生を振り返っての感想

として印象的に描かれています。
「何度失敗しても立ち上がる力」
を発揮する場面はシリアスな雰囲気の回だったり、大長編だったりで何度も描かれますが、最も印象的なのは「さようならドラえもん」でしょう。

未来に帰るドラえもん。最後までのび太のことを心配し、不安そうな面持ちでいるのを見て、のび太は虚栄を張って心配するなと応える。
ドラえもんが帰る前夜、のび太はふとしたことからジャイアンと喧嘩になる。いつもなら逃げ出すところが、ジャイアンに「何度倒されても、起き上がり諦めない」のび太。ついに根負けしたジャイアンに勝利する。

ここで、重要なのは「のび太は自分のために戦っていない」という点です。他の場面を見ても明らかなのですが、のび太は「他者のためにがんばる」人なのです。
裏を返せば、のび太が自立心を発揮するには「どうしても助けたい相手」が必要なのです。

その助けたい相手の筆頭が、ドラえもんなのです。
日常回で培われたドラえもんとの友情、それが大長編などで顕在化します。
実は、「ドラえもん」は
「ドラえもんがのび太を助ける話」
と同時に
「のび太がドラえもんを助ける話」
とも言えるのではないでしょうか。
それでこそ、対等な真の友情といえるのだと思います。

ドラえもんは結構ポンコツで、甘やかしたり、喧嘩したり、ひみつ道具で失敗したりしていて、一見「のび太を成長させていない」と思いがちです。
しかし、そんなたわいのないコメディの積み重ねがあってこそ、読者はドラえもんとのび太の友情に共感できるのです。

長くなりましたが、まとめます。

・のび太はもともと自立心の強い人間である
・その力は大切な他者のために発揮される
・ドラえもんはのび太にとって、唯一無二の親友である
・のび太は「ドラえもんのために」困難に立ち向かってきた
・その経験こそが真に人生の糧となっている

というわけで、私は「ドラえもん」が大好きです。
本ノートを読んで、なるほど、ホントか?など思っていただけましたら、ぜひ原作を読み返したり、触れてみたりしてくだされば本望です。

ちなみに、藤子・F・不二雄先生は落語のきれいなオチを参考にドラえもんを描いていたそうです。大人でも十分楽しめると思いますので何卒よろしくお願いいたします。

拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。


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