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できなくても大人にはなれるよ

出勤前に小学校の前を通る。
校庭では体育の授業中だったり、休憩時間だったり、休みの日はサッカークラブの練習をしていたり人っ子ひとりいない時もある。
いつも違う校庭をぼーっと見ながら職場に向かう。
この間もいつも通り校庭をちらっと覗いてみると、真ん中でみんな集まって話を聞いているようだった。
でもよく見たら鉄棒の前に先生が二人と女の子がひとり。
女の子は泣いていた。
逆上がりができず泣いているようだった。
聞いたわけではないのでもしかしたら前回りかもしれない。はたまた鉄棒に乗ることができないのかもしれない。鉄棒は関係ないかもしれない。
どうして逆上がりだと思ったのかと言えば、私も同じ経験があるのだ。
鉄棒の前で泣きはしなかったが、泣きたかったことが。
私はとてつもなく、運動神経が悪い。
走ればビリ、ボールは落とすし、跳び箱や鉄棒と言った体育の時間に使うあの道具たちとは相性が悪い。ちなみに泳げもしない。
中学生の頃には、何であいつああもできないのかとバスケ部の女に舌打ちをされた。
鉄棒は前回りですら腹が圧迫され、気持ち悪くなって大嫌いだった。
逆上がりなんてそんな高度な技ができるはずもなく、鉄棒の時間はやっているふりをして乗り切った。
今となってはああいったことというのは頑張ったことで得られる達成感や、「頑張ればできることがある!」と学んでポジティブかつ、健康な心身を得ることができる機会なのだなあと思う。
私はいまいちあの頃の記憶は覚えておらず、親や先生は何と言っていたかは覚えてはいないが、「何でこんなこともできないの!」と言われたことはない。
私はたまたま運良く言われずに済んだが、世の中にはいっぱいそんなことを言われている子がたくさんいると思うし、言われて育った大人も多いと思う。
「何でこんなこともできないの!」
言われる本人だって何でできないのか分かったら苦労しない。
こっちが教えてもらいたい。
校庭で泣いていた女の子は逆上がりができるようになっただろうか。
できなくて誰かに迷惑をかけることに関しては頑張らなくてはいけないけれど、迷惑かけないなら大丈夫だよとあの子には言えても、私は逆上がりができないまま大人になって自分には言ってあげることができない。頑張らなかったから、私はダメな人間だと。これからもずっとそうだと。

でも、出来ない自分を責めないで、出来るようになったなにかを誇って、生きていければいいじゃないか。

でもそれが難しいのだ。自己肯定って難しい。

私は結局できなかったが、あなたが頑張って出来るようになりたいなら応援している。
でも、できなくても大人にはなれるよ。


#エッセイ #逆上がり #自己肯定


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