ゆっくり行こうぜ、このクソったれ東京。
三ヶ月なんて、ほんの僅かな時間。
人生単位で見るならば、多分ベットから一歩も動かなくたっていいような
短い短い、一瞬の出来事。
「東京」という街に住んでみることにしました。
2020年7月。
なんだかんだで22年間、生まれ育ち暮らしてきた地元を離れ
東京の街に引っ越してきました。
三年ほど前から旅をしたり、都内と地元を毎日のように行き来する生活で
ずっと地元しか見てこなかった、というわけではないけれど
“住む土地を変える”というのは初の試み。
色んな土地に住み、色んな文化や人に触れ、色んな経験がしたい。
未だ見ぬ“何か”に出会いたかった。
今までの自分の旅や人生を振り返った時、その想いが共通していて、
旅のテーマを『暮らしを旅する』に決めてから、
まずは地元、神奈川からそう遠くない「東京」の暮らしを体験してみよう、と思ったのです。
正直、細かい場所はどこでもよかったので
なんとなく数年前に訪れて「おしゃれだなぁ」「素敵だなぁ」と思った
“東京都・台東区”を選んでみました。
この街は観光地でありながら、古き良き日本の下町の雰囲気を残した素敵な場所。
東京らしいアクセスの良さや、便利さも兼ね備えていて、何一つとして生活に不自由のない「完璧」と呼ぶに限りなく近い街。
住み始めて、たった三ヶ月しか経ってないけれど、私はここが大好きになりました。
だけどね。
この東京という小さくて大きすぎる街は、
いつも莫大なエネルギーを抱え込んでいて、
私は、それに耐えることが少しずつ難しくなっていきました。
これから綴る私の頭の中のお話は
たかが22歳、自由人の私が東京に住んでみて感じた
東京に対する可愛くない、ただの悪口。
帰れないのは雨のせい。
東京の街は慌ただしい。
朝も、昼も、夜も、絶え間なく人々が蠢いてる。
目に見えない莫大なエネルギーと人々が作り上げた様々な情報が
街中に溢れかえって目が回る。
東京に引っ越してきて三ヶ月。9月の半ばを過ぎた頃。
私は夜が近づくと頭の中がこんがらがってしまうようになり、
急に目尻がグゥ熱くなるのを感じ、部屋を飛び出す日々が続いていました。
どうしても足が重くて自分のベッドに戻れない日は
小さな小さな路地裏で、心が落ち着くまでしゃがんでた。
きっと考え過ぎが理由だったとは思うけど
その時は全部、秋の夕立のせいにして。
東京ですれ違う人々は、良くも悪くも互いの日常をぶつけてみたり、
他人です、と都合よく逃げみたり。
そうやってみんな器用に上手に生きていた。
いつもいつも、みんな、今を生きるために遠い未来を歩いてる。
この街に来て1番強く思ったことは
新しいものや便利なものは無闇矢鱈に増やせばいいわけではないってこと。
この世の中にはきっと、もうとっくに必要なものは全て揃ってる。
昨今、新しく生み出され続けているもののほとんどは悪い言い方をすれば、
お金持ちのための贅沢なオモチャにしか過ぎないな、と思う。
今ある様々なサービスは、もっとシンプルに整理して減らしてしまった方がみんなにとって便利で分かりやすいと思う。
選択肢が多く与えられた環境が必ずしも良いは限らない。
何かを“選ぶ”のには、かなりのエネルギーを使う。
選択肢なんてものは、そう多く与えられていなくても
自分で必要な分だけ、今あるもので増やしていけばいい。
『東京は後戻りしない、老いていくものを置き去りにして
めい一杯、手一杯の目新しいものを抱え込んでる。』
これは私が好きなアーティストの曲のフレーズ。
東京の街で生きる人は、この街で生き残るために
日々新しい物事を生み出し続け、進化をしている。
別にそれは悪いことではないと思う。
だけど、その生み出された物事のほとんどが、
中途半端に育てられたまま
溢れかえる別の物事に埋もれてしまっている気がした。
そしてまた新しい物事を生み出そうと、みんな必死になっている。
私は、どうしてもそれを見過ごすことができなくって
東京タワーがあるのに突如として日本のテッペンに君臨したスカイツリーを見るたびに、モヤっとした気持ちになった。
別に、スカイツリーは悪くない。
今この手の中にあるものは、なんだ。
東京には素晴らしいものがたくさんあって、まるで宝箱の中の様だ。
なのに、たくさんあるが故に
その一つ一つの価値が埋もれていってしまうのは、あまりにも悲しい。
ここには大切にしたい“埋もれてしまった想いの産物”が、
あちらこちらに転がっていて、それらは今日も必死に息をしている。
その全部を欲張って、自分一人で抱きしめたいと思ってしまう。
私一人なんかでは到底無理だと分かっているのに。
「東京で生き抜くのは大変だ」と人は言う。
この街を“大変”にしたのは人なのに。
この街が日本の中心ならば、この国の社会や経済は堂々巡りだ。
「このクソったれ東京。足元を見ろよ!」
そう無責任に叫びたくなる。
この社会の全てを一丁前に分かったような気になって。
一向に基盤の整わない新規事業に次々と新しい“何か”を盛り込む前に
今の自分達は何を生み出してきて、何が手の中に残っているのか。
一つ一つ、一人一人を大切に、ちゃんと向き合って歩けているのか。
一度ふり返って見てみろよって、ポンコツながらに思ってる。
でも、きっとそんなのみんなが思っていて
思っていても、そんなトロトロしていたら東京では生きていけないっていうのも、理解はしている。
分かっているけど、それでも私はやっぱり、この街が苦手だ。
苦手というか、まだまだ私には早過ぎた。
きっと、まだもっとちっぽけで弱っちい柔らかい何かの中にいたかったのかもしれない。
どこから来て、どこに帰るのかも分からない赤の他人にも
情けをかけてしまうような不器用な人間には、どうも住みづらいと思ってしまった。
でも、こうやって不満を垂れてしまうのは
きっと結局、愛情の裏返し。
この記事を書く前から思っていたけど、この話にはオチがない。
だけど、どうしても書き留めておきたかったんだ。
敵いっこない愛すべきクソったれ東京へ。
ちっぽけで威勢だけの良い泣き虫な私より。
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