世界に一つだけかもしんないけど、愛でられなきゃ意味ないよねって話。
お察しのように、俺は「世界に一つだけの花」が嫌いである。
嫌いというと語弊があるか?疑問疑念があるが正しいか。この疑念はリリースから今も消えることはなく、そして名曲ともてはやされるたびに膨れ上がる。
それは、やっぱり世の中が不平等なことを知ってるからだろう。
多くの人は不平等を知りながら、それでもこの歌を好むのだろうが、俺はそれができない。
そりゃあ、人間は一人ひとり別だけども、それに甘んじていたら誰にも見つけられない。
もし、なんもせんでも見つけられるのであればそれはもはや歌の通りナンバーワン以上に特別なオンリーワンだ。
そして、人はそれを天才と呼ぶのだ。
人が自分を誰かと比べて凹むのは、そこに自己顕示欲があるからだ。元々別々の個体だろうと見つけられなきゃただのゴミだ。
ゴミのままでいいヤツはそもそも悩んだりなんかしない。
みんな違っていいけど、その中でも特別でいたいっていうのが人の性だろう。
だから、この歌は論点をずらしているとしか俺には思えないのだ。
一人ひとり生まれ持った特性が違うのはあくまで前提条件のはずなのにそれが全てであるかのように歌うのだ。
そんなもん、その場しのぎの誤魔化しでしかない。
この歌を聞いて、「俺は特別だ」と勘違いする輩が出ることが恐ろしい。
努力もしないで特別になんかなれないし、目指すべきナニカがなければ人は成長しない。そのナニカを生まれ持った特性に定めたら停滞以外のなにがあると言うのだろう。
別にナンバーワンになれオンリーワンになれってわけじゃない。
元々持ってるものを磨いて、特定の分野でそれなりの向上を目指せと言いたい。
ナンバーワンじゃなくてもオンリーワンじゃなくてもなにかのためにもがいている人は見つけてもらうことができるはずだ。
見つけてもらう認めてもらう努力をして、まずは土俵に上がること。
そうして初めて歌のように自分を認めることができるのだ。
無条件に自分を認められるヤツがいたとしたら、そりゃ単なる人格破綻者だ。
もちろん、この歌だって努力を否定しているわけではないし、俺ごときが思い至る発想なぞ、槙原が至らないはずがない。
きっと打ちひしがれた人に対して、そもそもあなたはあなたなんだよ、特別なんだよって寄り添う意図があるのはわかる。
だが、それでもこの歌が努力することも興味を持って動くこともないゴミを慰める歌になってることは事実だと思う。
だから俺はこの歌に疑念を持っている。
どれだけ冷めたふりをしようが、人はみんな認められたいはずなのよ。
この歌にすがるっていう行為もその一つ。
だが、現実から目をそらしちゃいけない。
どんだけぶっ壊れて努力をしてもたどり着けない場所があることを。
それらから目を背けず、受け入れ、比べ、自分の立ち位置を理解したときにようやく自己肯定感は生まれると俺は思う。
というわけで、若者よ、こんな歌よりもMOROHAを聞こう!
あれはエグいぞ?売れなくて苦しんでもがいて夢を追う、夢を負う苦しみが非常にリアルだ。
若者たちにはあれを聞いて覚悟を決めて、ぜひ頑張ってほしいものだ。
最後に世界に一つだけの花のアンチテーゼとなるMOROHAの一節を紹介しよう。
以上、ご清聴ありがとうございました。
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