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美味しい理由

 「美味しいとはなんなのでしょうか?」
 それなりに酔いがまわった僕は、ある方に少し暗い店内で、そのような質問をしました。とても長い間、料理人をしてきたその方は、「人はね、珍しいものを美味しいと思うもんなんだよ」と答えてくれました。

 それは美味しく調理をする技術、知識、経験等、基本的な事柄を持ち合わせた料理人の仕事ということはもちろん、器、盛り付け、食事をする場所、雰囲気等も含めたことだと思います。
 ただ、この数年、自分なりの美味しいを探し、提供するカレーや副菜をコロコロと変え、迷走し続けてきた僕は、その一言に妙に府に落ちた感覚がありました。
 また、その方は修行時代、よく修行先の親方に近所の店にカレーを買いにいかされたそうです。その親方は、きっと若いころから食べているそのカレーを、毎回旨そうに食べるのです。どれだけ旨いものなのか気になって自分で買って食べたところ、なんの変哲もない普通のカレーだったそうです。「懐かしさ」の記憶がカレーを美味しくしていたのだと話してくれました。

 確かに最近、父の介護で頻繁に実家に向かうのですが、そこにはなんの変哲もない煮物や漬物があり、それを旨いと思います。それはきっと、以前感じなかった「懐かしさ」という調味料が効いているからなのかもしれません。
 また、この数年、僕は食べものに対する趣向が変化してきたことを強く感じます。美味しいと思ってきたものがそうでなくなったり、以前食べなかったものが美味しく感じるのです。
 それは、年齢とともに僕のなかで起きている「変化」です。背負う荷物が少しずつ増えることや、顔つきや背格好が変わるだけでなく、いろいろなところで人は「変化」していくもであり、胃袋もその例外ではないのです。

 もちろん、個人の変化だけではなく、自分を取り巻く環境、社会の情勢により変化を求められることもあります。
 つまりは、このいろいろな意味で失われたこの2年間、人は生活や物の考え方、価値観にも「変化」を強いられてきました。なんだか微妙に、そしてじんわりと、この不穏な空気が世の中を包むなか、自分だけでない他の誰かも同じように窮屈な日々を過ごしていることこが分かる毎日。立場によりその強弱はあるにしろ、明らかに街の雰囲気や空気感は以前とは異なります。しかし、そのような少し窮屈な毎日のなか、それでも人は生きていくため、自分なりの楽しいを見つけるように、「美味しい」を日々見つけるのだと思います。

 「最近美味しいと思ったものある?」
 ボトルが空になる頃、そんなことを聞かれました。答えは簡単でした。その時、その方が作った蛸の柔らか煮は、まさしく最近食べた美味しいものでした。しっとりと柔らかく丁度よい醤油の塩味と甘さ、そして深い赤色、付け合わせの鮮やかな緑色の菜花、橙色の人参、蛸の旨味が口一杯にひろがります。
 「蛸はね、吸盤があってこそ蛸なんだよ。吸盤がないとなんだか分からなくなる」
 なるほどなと思い、更に箸がのびます。他の人の分など考えていられませんでした。

 僕にとって何かを創造することは、息をしているのと同じことです。何か新しいものを作り、落ち着かなく生活すること、それが僕にとっての「生きる」ということなのかもしれません。
 だからこそ、これからも季節の食材を追いかけ、試したことのない調理法を探し、新しいレシピを妄想し続けます。

 そして、皆さんに楽しんで貰えるような「珍しさと懐かしさ」が共存するような料理を作りたいと、強く思うのです。

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