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「変えられないこと」の中に「変えられること」を見つけたい。


こんにちは☀️Miiです。

突然ですが、皆さん。
「1999年9月27日生まれ」と聞いて、何か思い当たることはありますか?



はい、いきなりすみません。

「そんなこと言われても…。」そう思った方が大半ですよね。

実は、これ、私の誕生日なんです。(祝って欲しいアピールではありません笑)


2000年代に生まれたかったけど、時すでに遅し。
将来、「え〜!おばあちゃんって2000年生まれじゃないんだね!」と孫に言われる老後を想像しながら、2000年代も力強く生きていきたいものです。

とまあ、前置きはこれくらいにして。

今日はこの生年月日がきっかけで、「変えられないものをどう受け止めるか」について考えたので共有したいと思います。


ある日の出来事

↓真面目パート(です・ます無視パート)突入

ここ最近、調子が悪い日が続いていた私。
気分の落ち込みがあり、少し危険信号かなと思っていたときのこと。

私の様子を見かねた母が、突然話を切り出した。


「あなたは生まれた時から体が弱い人生を送ることになっていたのよ。」


えっと…。はい?

今なんておっしゃいましたか?笑

空いた口が塞がらない。
どうしてそんなことになってるんだろう?

「実は知り合いにね、生年月日であなたの運勢を見てもらったのよ!
 そしたら最悪だって。9がたくさんあるでしょう?

 1999年9月27日
 →生まれた年と月で「9」が4つ。
 生まれた日の2と7を足したら「9」。つまり「9」が5個もあるのよ!

 だから、あなたは生まれた時から体が弱くて、苦しむ運命だったの。
 本当にかわいそうなのよ。」


なるほど!確かに9が5個もある。
そうか!だから私は苦しんでいるのね!
生まれた時から苦しい人生って決まってたのか。そっかそっか〜。


…って、そんなわけあるかい!!笑
(心の中で「ハリセン」一発入れときました。)

じゃあ、1999年9月9日生まれはどうなるの!
2と7足して9よりも、明らかにこっちの方が辛そうなんだけど!!笑

私と同じ誕生日の人はみんな不幸になる運命なの?

そんなわけないよね。


母の葛藤

多分母は、「私がこの子を救わなくちゃ!」と思い続けてきたんだと思う。

母の思考の変化を分析してみると、こんな感じかな。


お医者さんに連れて行っても、薬を飲ませても、この子の精神的な弱さは治せない。昔の元気な姿で居続けることはできないの?



何を言っても、どんなに励ましても、救うことができない。
苦しんでいる姿を見ているのは辛い。
(自分が救ってあげられない無力感。子供がしんどい思いをしていたら助けてあげるのが親なのに、それができなかった自分に対する苦しみ。)



「生まれた時からこの子は苦しむ運命だった」と生年月日に意味付けすることで腑に落ちた。


自分がなんとかしてあげないと、という感情が人一倍強かった母。
誰かのために自分を犠牲にすることに、生き甲斐を見出していた。


母は昔から人に騙されやすかったらしい。
宗教なんて信じないが口癖なのに、人のことは簡単に信じてしまう。
(変に疑り深いところもあるからそこは厄介。笑)


私が生きづらさを抱え始めた時期(高校時代)、母もきっと辛かった。
それは今の母にとって最も戻りたくない時期だ。


本当に揺り戻されているのは母の方かもしれない。


私が精神的に苦しんでいる時、
母は私の中に苦しかった頃の昔の自分を投影してしまう。
もうあの時の自分には戻りたくないのだろう。

でも、これは母自身の問題で。
割り切らないとこっちもやっていられない。

いくら母に「また心が弱いあなたに戻っちゃったのね」と言われたとしても、
私は確実に一歩一歩踏み出してるし、

ここ数年で生きづらさを抱えながら生きていく術を身につけてきた。


それは自分自身で掴んだ紛れもない事実。

「変えられないもの」と「変えられるもの」を見極める。

「最初からこうなる運命だった」って
なんて楽な響きなんだろう。


自分に原因があるって考えなくて済む。
分かったつもりになって、分からない状態から脱することができる。

人は誰しも、辛いとき苦しいとき、
希望を求めて何かにすがりたくなる。

その典型的な例が占いなどの「確かなもの」だろう。
絶対に変えることのできない事実は強い。


苦しみの原因がわからないと人は不安と恐怖を感じる。


それを簡単に解消してくれるのが、
「自分では絶対に変えることのできないもの」に原因を求めること。

変えられないのだから、仕方ない。
抗い、変化させる必要もない。
運命を受け入れ、そういうものだと考えることで、
自分を落ち着かせることができる。

別にこうやって考えることが悪いと言いたいんじゃない。
私もこれに何度も助けられてきた。


一時的にでも辛さから解放されるなら、思う存分活用したっていい。


でもその先は自分次第だよなあ、とも思う。

自分の運命に納得してそのままでいるも良し。
運命で変えられない部分はあるけど、自分で変えられる部分は変えていきたいと思うも良し。
運命なんかに自分の人生決められてたまるか!と一念発起するも良し。


自分が楽になるために、その時々にあった考え方で解釈すればいい。



ただ、それは同時に「変えられないもの」に勝手に絶望して自分の可能性を0にする危険性も含んでいるよなあ、とも思っていて。


「変えられない」と思って腑に落ちたはずなのに、
今度はそれに縛られて、

「え?変えられないなら、私の人生もう良いことないんじゃない?
めちゃくちゃしんどいんですけど‼︎」ってなることがある。(過去に経験済み笑)


そんな自分に気付いてからは、
変えられないものと変えられるものを見極めることが大事なんだと気付いた。

自分では変えられないと思っていたことが、実は変えられることだった。
自分では変えられると思っていたことが、実は変えられないことだった。



これって意外と多い。

だからこそ、この見極めこそが大事なんだと思う。


今回の例で言うなら、
占いによって導き出された「あらかじめ決まっていた私の人生」は変えられないかもしれない。

でもその占い結果の解釈は自分で変えられる。



変えられないものに苦しむより、
その中に変えられるものを見つけて、
自分でコントロールしていく方が人生って楽しい。


あとがき

今回の一件でこんなことを考えるに至ったMiiです。

今回の記事を書いていて、
自分でもこの見極めがちゃんとできているのだろうか?と自分に問いました。

答えはNo。

でも、いいんです。
最初から自分に合った見極めが正確にできる人なんていない。

少しずつ、少しずつ
見極めの精度を上げていければ、それでいい。

見極めた上で、変えられるものを変えていこうと思うだけで
もうハナマルなのです。


自分に完璧を求めずに、厳しくなりすぎずに、
生きていきたいものですね。



今日も見てくださってありがとうございました!




















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