どうしようもなく寂しい夜は、「“自分“とつながろう」
「今日はどうしようもなく寂しい。誰かと繋がりたい。」
「なんとなく人恋しい…。でも、自分から連絡するのは苦手。
相手は忙しいかもしれないし、『寂しいから連絡する』なんて大人げないよね。」
なんて。
あれこれ悩みまくって、
結局そんな寂しさをなんとなくやり過ごす夜が続いている。
訳あって離職してから5カ月目。
1週間のうち、人に会うのは1日くらいで。
そんな日々が続くと、否が応でも気持ちが滅入ってくる。
元々、「1人大好き!人に会わなくて良いなんて最高!」
なんて人間ではない。
「みんなと一緒にいる時間は好きだけど、1人でいる時間は欲しい」
という、なんとも曖昧で、
まあ、でも人間らしい人間であると思う。
そんな私が、寂しさ余って、「寂しさ」について書かれた本を読んだ。
そこには、
「寂しいと感じるのは、人間の本能の一つ。
誰かと繋がりたいと心が警鐘を鳴らしてくれているサイン」
「寂しさの本当の原因は、『自分と繋がれていない』から」
と書かれていた。
マイナスな感情は、できれば感じたくないと思うのが人間だ。
しかし、本来は感情に優劣などなくて、どの感情も必要だから出てきている。
私の中にある、このどうしようもない寂しさも、
潜在意識の中にある、
「人と繋がりたいよ!仲間の一員として繋がりを感じて生きたいよ!」
という生存本能が、サインを出してくれているのだ。
しかし、理解に苦しんだのは、
「寂しいと感じることは、自分と繋がれていないから」
という部分だった。
「寂しさは、人との関わりの中で感じるものじゃないの?」
と思っていたが、本来は違うという。
自分で自分の「寂しい」という感情に真正面から向き合わず、
その場しのぎの、
「寂しさを感じなくて良い行動=アルコール、SNS、食べる、仕事、買い物、占い」
をしていると、根本の「寂しさ」は癒されるどころか、
無理やり蓋を閉められているので、どんどん膨らんでいってしまうということだった。
だから、対処として、まずは自分と繋がって「寂しさ」と向き合いましょう、
その上で人と繋がる行動を、自らとっていきましょう、と書かれていた。
詳しいことは割愛するが、
私は「人が怖い」と感じることがある。
「人を心から信頼できない」という意味でもあるかもしれない。
だから、繋がることに警戒心を抱いてしまう。
すると、自分の感情は、人に伝えることもできず、
自分自身もそれを感じることを避けるため、
感情が蓋の下でむくむくと膨らんでいっているのかもしれない。
だから、まずは「自分の感情」と向き合うことに決めた。
日記を書いて、自分の「寂しい」をひたすら書き殴ってみた。
「寂しい、すごく寂しい。人と繋がりたいな、もっと人に囲まれて生きていたいな」
というふうに。
そしたら、幼い頃の記憶がふわっと蘇ってきた。
「そういえば、小さい頃は寂しかったな。
それを両親には言えなかったな。
テレビばかり見てないで。
お互いの悪口ばかりいわないで。
テレビのニュースや、他人のことばかり話さないで。
もっと私をみて欲しかった。
もっと甘えたかったよ。」
って。
そしたら、もう、涙が洪水のように溢れて止まらなかった。
散々泣いて、落ち着いた時、
肩の力が落ちて、自分の体がほんのり温かくなっている感覚があった。
「ああ。これが自分と繋がるってことか。」
と、ようやく自分と向き合うことの意味がわかった気がする。
もちろん、人とのつながりも大事だし、そこで得られる安心感も人生を生きる上では必要不可欠だ。
でも、それができない時や、
それでも寂しさが鳴り止まない時は、
紙とペンを用意して、
自分の感情をひたすら感じてみると、
「寂しさ」との「つながり」を感じることができる。
もう少し、続けてみようかな。
みなさんも、寂しいと感じた時は、
その辺にある紙とペンをとって、
騙されたと思って感情を書いてみるのはいかがでしょう?
結局、自分と繋がることが、
1番のお薬だったりするのかもしれません。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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