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珈琲を飲むようになった

コーヒーは、母がよく飲んでいた。
眠れなくなるから、と60代を過ぎてからは一度も飲んでいないようだけど。
小さなマグカップにインスタントを溶かして飲んでいたのを「大人の飲み物」と思いながら見ていた幼い頃。
真似して一口飲んでみたけれど当たり前に苦くて、色がなくなりそうなほどに牛乳を入れて飲み干したのを思い出す。

甘いコーヒーしか飲めなかったのは、何歳くらいまでだったろう。
コンビニで買うカップ飲料もカフェオレやカプチーノといった種類ばかりで、まさか自分がこんなに真っ黒な飲み物を毎日欠かさず飲むことになっているとは、過去の私も思うまい。


きっかけは、職場の喫煙所にいるおじさん方が揃いも揃って煙草片手にコーヒーを飲んでいたからだと思う。
禁煙をする前の父もよく缶コーヒーをお供にしていた。
そのイメージがあり、二十代を過ぎて急に煙草に手を出した私の飲み物も自然とコーヒーだった。
(ちなみに煙草を吸い始めたのは、喫煙率の高い職場で同僚と会話をするためと、気になっていた人も喫煙室にいたので、そこに混ざりたいが故の、間違った方向への乙女心であった)

「苦い」のは、たぶん私にとって大人を象徴する何かなのだと思う。
最近いいご年齢となった自分だけれど、中身は正直学生時代からなにひとつ変わってない。
なのでその象徴を摂取することは、まじめにいい子ちゃんでいた自分に対する小さな反抗心にも近い。
「苦い」にも色々な種類があって、味覚だったり感情だったりするけれど。
「苦い」と感じ、それを受け入れられる自分に対して、私も大人になったのだなと思っていたいのだと思う。

今日も今日とて砂糖もミルクも入れないコーヒーを飲む。
そして、ずいぶんとやさぐれた大人になったものだと、苦笑いするのだ。


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