見出し画像

広島で昔あった事件なんだが詳細知ってるやついる

2017年、突如として2chに「何10年も前広島の吉浦の墓場で女2人が殺された未解決事件あるんだが詳細知ってるやついないか?」と尋ねるものが現れた。
ネット民も詳しくない事件を尋ねる者の登場に、>>1が犯人ではないかと疑う声もあった。この事件について、さらっと調べたのでまとめてみる。

事件の発覚

1983年3月18日午後2:00頃、広島県呉市吉浦新出町の市営墓地の雑木林内の農道上に全裸の女性2人が死んでいるのを、犬を散歩中の男性(61)が発見し、110番通報した。死亡していたのは主婦のA子(56)さんと喫茶店経営のB子(56)さんで、警察は殺人事件と断定し、捜査を開始した。
(他県地方紙の社会面にも掲載されていたことから、全国的に報じられたと思われる。)

犯行まで

喫茶店経営のB子さんは事件の前夜(17日)に自身の経営するアパートに午後8時半頃帰宅。その直後、男の声で「警察の者だが以前盗難にあったハンドバッグが見つかった。午後10時頃迎えに行く」と電話があった。
B子さんは1人で行くのは不安なので、隣に住んでいた主婦のA子さんを誘って、迎えに来た車で外出後、行方不明になっていた。
司法解剖の結果、2人は18日深夜0時から4時までの間に死亡しており、背中などに刺し傷があったが、致命傷は首を絞められたことによる窒息死とされた。遺体の足の裏に汚れがないことから、別の場所で殺害後、遺棄されたとみられている。また犯人は複数犯とみられた。

事件発覚から犯人の特定まで

2人が殺害された後である18日の午前中、奪われたB子さんのキャッシュカードが使用され、キャッシュコーナーから2回に分けて、計40万円がひきだされた。警察は防犯カメラの映像から犯人の特定を試みたが、当時の防犯カメラでは3分に1コマのみしか撮影ができず、犯人を特定することができなかった。
また、遺体発見現場の農道は道幅が狭く、警察は軽自動車もしくは小型の普通自動車と見立てた。タイヤ痕から車種の特定を試みたが、一般的によく使用されているタイヤでかなり摩耗しており、車種を特定することができなかった。
他にもB子さんは腕時計を盗まれており、質屋等をあたったが、有力な情報は得られなかった。また不審な車として白っぽいセダンの目撃証言が上がったが、結局犯人特定にはつながらなかった。

掴めない犯人像

B子さんは事件の2年前である1981年5月頃、現金10万円が入ったハンドバッグの盗難にあっていた。この事実を知っているのはB子さんの親しい友人と経営する喫茶店の常連の一部だけであった。このことから犯人は内情に詳しく計画的に犯行を行う者とみられた。
しかし、怨恨か金銭目的か絞り切ることができず、警察の聞き込みにも関わらず、深夜だったためか、連れ出されたときの様子や、犯行時間帯の農道の様子の目撃証言がなく、捜査は初期から足踏み状態だった。
・怨恨説
主婦のA子さんより、喫茶店経営のB子さんのほうが鋭い切り傷が多かった。B子さんは明るく、人付き合いもよかったが、金銭面には厳しかったといわれる。金銭関係のトラブルで殺害されたのではないかとみる
・金銭目的説
B子さんは県内に何か所も土地を保有し、身に着ける指輪も数百万円のものというかなりの資産家として知られていた。また普段現金や貴重品を身に着ける習慣があることを知る人も多い。B子さんの生活ぶりを知った者が現金、貴重品を奪って殺害したという考えも捨てきれないという。

時効成立へ

初期から足踏み状態だった捜査は結局好転せず、事件から月日が流れてしまった。当初は130人体制で行っていた捜査も事件から10年経過した1993年3月には5人体制になっていた。
・別現場とされた殺害現場が、そもそも特定できていない
・深夜の犯行で目撃証言が少なく、犯人に結び付く情報も少ない
・遺留品も手足を縛った紐のみしか残されていない
・動機も絞れない
といった点が重なり、捜査は進まなかった。
時効成立前の1998年3月からはチラシ配りを行い、マスコミなどを通じて最後まで情報提供を呼び掛けたが、有力な情報はなく、延べ14万人の捜査員を投入し、6500人から事情を伺ってきたが、これらの努力は実らず、
1998年3月18日0時をもって時効が成立した。

2chへ

このまま、過去の事件として風化していくだけかと思いきや、時効から19年後の2017年10月18日、2chに突如としてこの事件を尋ねる者が現れるわけである。詳しくはYouTubeにまとめが上がっている。事件の詳細を知ってから見ると見方が変わるかもしれない。


引用
(朝日新聞広島版1983.3.19)
(朝日新聞広島版1983.3.25)
(朝日新聞広島版1983.3.26)
(朝日新聞広島版1983.4.19)
(朝日新聞広島版1983.5.19)
(朝日新聞広島版1998.3.12)
(朝日新聞広島版1998.3.19)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?