キメラのいた系譜 第一部 2

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 彼は大学で文学部に進むつもりなど全くなかった。自分の小説は文学部における教育によって補強されるような性質のものではないし、あくまで大学は、安定した職を得るために通過すべき、形式上の関門に過ぎないと考えていた。実際、彼は大学において友達は作らず、サークルや部活にも所属しなかった。人間関係などくだらない、と思いながら、決まって講義室では一番前か、そうでなければ一番後ろの席に座って人の塊を避け、睨むように黒板を見つめながら講義を受けていた。休み時間には講師から与えられた課題をやるか、そうでなければ使い古した黒いリュックサックから慌てたように例のノートを取り出して、やはり相変わらず鉛筆で、思い付いた小説の一文を書き殴っていた。職業としては安定したものに就き、しかし文章は書き続け、ゆくゆくは小説家としてデビューするのだという考えは一瞬たりともぶれることはなかった。自動車の教習所には通わなかった。そんな時間は無駄だと考えていた。大学生の彼は未だに小学生の頃の純粋さを保っていた、さすがに工学部の人間が食堂でわざとらしく騒ぎながら、「俺たちが社会に出る頃には、車は完全自動運転が当たり前になっている。運転免許など取得する必要はない!」などと言っていたのを信じたわけではないが、そうでなくても彼にとってはやはり、教習所で赤色と青色の入り混じる標識やら表示やらの意味を長々と説明されるのよりも、小説の一文を思い付くのをひたすら待つための、何もない公園の日陰のベンチに座って、ただぼぅと過ごすような時間のほうがはるかに大事だったのだ。
 だから遂に彼が就職活動を始める年になっても、彼の本心としては、「ある程度の安定した収入があって、一日に少なくとも二時間は小説の書ける時間をとれるような職に就きたい」というような思いしかなかった、ここで彼の小学生来の純粋さが仇となってしまった。企業へ提出する履歴書、エントリーシートにおける「志望理由」、「企業に入ってやりたいこと」などを書くことは、彼にとっては真っ赤な嘘を書くこと以外の何物でもなかった。そしてそのことに対し、彼は性格上の純粋さゆえに、他人以上に苦悩してしまった。ある時期など、名の知れた大企業、名の知れない中小企業、ともかく企業らしい組織名を見る度に不機嫌になるようになってしまった。全く筋の通らない感情だと自分でもわかってはいながら、しかし時折大企業の経営者の顔がテレビの画面や新聞に出ていると、それを軽蔑のこもった視線で見ることを抑えられなくなった。多くの企業が自らの特異性を示そうとして、結局は皆が同じようなものへと収束していく、どうしようもなく滑稽な将来を想像するようになってしまった――しかし、全ては受け入れるしかなかった、一人の人間として自立し、自分の望む形で小説を書き続けるためにはそれでもちゃんとどこかに就職するしかないと、どうしようもなく頭が重くなっていくのを感じながら、機械のようになって日々活動を続行した。真っ赤な嘘を書き続け、あらゆる物語を練った。記録に残っていることに関してはさすがに嘘をつくわけにはいかなかったために、現実と虚構の間を蛇のようにかいくぐる、世にも愚かしい技術をも身につけた。そうなると血のように真っ赤な嘘もまるで真実のようだった。面接官が生ぬるい微笑みを浮かべていようが、思わずこちらが哀れみを抱いてしまうほどに気難しいような表情をしていようが、何があってもスーツの下に汗の染み一つ付けることなく、平然としていられるようになった。自分の中で練り上げた、それぞれの物語が複雑に絡み合い、しかし一貫性は保ちながら、やがて無機質な、それを一目見た瞬間に誰もがどこか虚しい感覚を抱いてしまうような、仰々しい空っぽの銅像が出来上がった。その銅像が吐き出した、彼自身にとっても予想外だった結果として、彼はいつの間にか国家公務員試験に合格していた。そして気が付けば、文部科学省の一官僚になっていたのだ。

 いつからだったかはわからないが、気が付けば彼は、弟とはあまり顔を合わせないようになっていた。就職して実家を出ればそうなるのも当然かもしれないが、しかしそういうわけではなく、なぜか彼には、自分が中学生になったあたりから弟とまともな会話をした覚えがないのだ。兄弟仲が決定的に悪化するような、何か大きな喧嘩をした覚えなどもなかった。それにしても弟と訳も分からず笑い合って遊んだ最後の記憶は、互いに小学生だった頃の、灰色がかったように色褪せたものしかなかったのだ。機会をうかがって父親と母親に聞いてみても、はっきりしたことは何もわからなかった。もしかしたら自分が小説を書くことに熱中してしまったせいで、いつの間にか弟のことが視界に入らなくなってしまったのか?――いやいや、ずっと同じ家に住んでいて自室も隣同士だったのに、さすがにそんなことはないか、しかし弟は俺よりもはるかに勉強ができたが、たしか、あいつは小学校に入る前からスイミングスクールにも通ってはいなかったか? 小学校に入学してからは同時に学習塾にも通うようになって、中学、高校生の時には予備校と、競泳の部活動にも精進していた、おそらくは弟も、俺と顔を合わせる時間がないほどにずっと忙しかったということだろう――文科省の仕事は、少なくとも初めのうちは恐ろしく単調だった、まずは在り来りな社会人としてのルール、または公人としてのルールを長々と説明する、厚い資料の伴った講義が開かれた。薄暗い講義室で机に資料とノートを開いて、スクリーンに映し出されたスライド――ゴシック体の、細かい文字のびっしりと詰まったスライドを伏し目がちの年老いた教官役が指揮棒で指しながらマイクを通して語る、早口の文句を時折メモした。薄暗かった部屋に突然明かりが点けられ、年老いた教官役が目を伏せたまま、「では、ディスカッションの時間です」と宣言する、若い彼ら彼女らは近くに座る者同士で四人組を作り、各々の組の中で議論を交わし、就職活動時の彼が作り上げたものとまさに同じような、空っぽの銅像じみたものをそれぞれ作り上げる。時間になると、それぞれが作り上げた空っぽの銅像――議論を通して導かれた結論を発表し合い、一組が発表を終える度に、ぱらぱらと乾いた拍手が薄暗い部屋に響く。そういったことが二週間ほど続いたが、ついに全体での研修が終わると、新入りの官僚たちは各人の配属となる部署へと向かわされた。彼の配属になったところはフロアの端にあるこぢんまりとした部屋で、新しく入ったのは彼一人だけだった。そこの部屋の構成員は彼も含めて全部で六人、男が五人と女が一人だけだったが、彼の直属の上司の説明によれば、この部屋とは別室に同じ部署の仕事場があるから、チームとしては全部で十五人ほどのメンバーがいるとのことだった。全ての同僚と顔を合わせるよりも先に、彼にはまず、ダブルクリップで閉じられた分厚い資料が渡された。そのようにして上司から資料を渡されたり、または自分で資料を探し出したりして、彼は入省してから三ヶ月の間に、少なくとも十二回分の発表資料を作り、二十五部の書類を作成した。その十二回分の発表資料の全てはほとんどが同じ内容だった。ひたすら改訂が繰り返された。一回だけ、資料中のフィリピン国旗をカリブ海に島の浮かぶ小国、シント・マールテンのものと取り違えていたのを修正するということはあったが、それ以外は、上司からの指示を受けて、ただ「――であるということが確認できる。」という文章を、「――であると思われる。」に変更し、どういうわけかまた元に戻すというような改訂がほとんどだった。「その二つの文言を正確に使い分けられてこそ、本物の官僚だよ」と彼の上司は笑顔で言った。二十五部の書類を完成させるには、それぞれに少なくとも十三人の上司から判子を押してもらう必要があった。
「これが、あと三年は続くかな」
 彼の次に若い同僚の男は寂しげな微笑を浮かべてそう言った。気が付けば、彼はもうしばらく小説を書いてはいなかった。書きたかったのに書けなかった、というわけではなかった、ただ単純に忘れていたのだということに気が付き、彼は自分自身に驚いてしまった。目の前の作業を淡々とこなす中で、自身の過去についての記憶が段々と薄れてしまっていたらしかった。かつては生き甲斐であったはずの、小説を書くことについての記憶が薄れているのにもかかわらず、自分が一切の悲しみを抱いていないということに気が付き、そのことに彼は悲しんだが、それもすぐに醒めてしまった。そして淡々と仕事を続けた。
 それでも、転機は訪れた。ある朝の、通勤途中の地下鉄の車両において、向かいに座るスーツ姿の男、男は新聞を大きく広げて読んでいたために顔は隠れて全く見えなかったが、代わりにその男が読んでいた新聞のとある一面の見出しがふと目に入ったとき、彼の思考が目覚めさせられた。その見出しに記されていたのはとある数字、この国の年間の総自殺者数、三万五千人という数字だった。その瞬間の彼は、車両内の周囲の目もあったために、ただ電車の揺れに身を任せ、車輪と線路の擦れる騒音を耳にしながら、ゆっくりと目を閉じただけだった。しかし閉じられた瞼の奥、眼球のさらにその奥の脳内では、すでに学術的興味に基づく思考が渦巻いていた。
 職場に到着するなり通勤鞄を自分のデスクへ放ると、彼は早速資料室に向かった。周りの同僚が、彼がなかなか戻ってこないことを不審に思い始めた頃に、いくつもの分厚いファイルの山を載せた台車を押しながら、彼が戻ってきた。一つ一つのファイルを、その重みによろよろとよろめきながら、どん、と大きな音を立てて机上に置いていった。隣の席の同僚が目を丸くして振り向いた。
「おい、何事だ?」
 少し気になることがあって、と彼は答えた。十一歳の頃からやっかいな爆弾が備わっている自分の腰をさすりながらではあるが、入省して以来もっとも真剣な表情を浮かべていた。「ちょっと、自殺者の数を減らす方法を考えてみようと思いまして」
 自殺者の数を減らす、と言っても、このときの彼としては、自殺者たちやその遺族たちに対する憐れみや、国民の健康生活を支える公人としての義務感や、もしくはもっと純粋に、「どうにかして、自ら命を絶とうとする者らを救いたい」などというような立派な思いがあるわけではまったく無かった。むしろ彼からしてみれば、自殺など全く馬鹿らしい行為だった――なぜ、まだ先があるだろう人生を、これから運が上がっていくかもしれない人生を、自ら途中で終わらせてしまうのか? たとえ死にたくなるような目に会ったって、きっと数年経てば笑いごとになるだろう辛い出来事を、どうして今その瞬間だけでも耐えることが出来ないのか?――結局、彼が自ら動き始めた動機としては、自殺という現象に対して純粋な知的好奇心、幼い頃から変わることのない彼の本質的な部分が、彼の計算機としての脳内に渦巻き始めたから、というのが正直にして唯一の事実だった。
 まず彼は、自殺に関する既存の統計データをあちこちからかき集めた。分厚い資料の一つ一つを熟読し、上司にプレゼンするための新たな資料を作成しようとしたが、どうも既存のデータは古いものばかりだった。新しく統計をとり直したい、と上司に相談した。統計調査には当然相当な費用も掛かる。自分のような新人がほとんど思い付きのようなものでこんな相談を持ち掛けてもどうせまともには取り合ってはくれないだろうと諦めていたが、意外にも上司は、「学校に通う青少年の自殺者数減少に貢献するという名目のもとでなら」と言ってあっさりと了承した。真面目に考えれば本来不思議なことだが、当時の文科省の予算としては、「何に使ってもよいから、とにかく使い果たしてくれ」とお上から圧がかかるほどの金が、いつもどこかに有り余っていたのだ――十分な量の予算を手に入れた彼は、早速関係機関のそれぞれに自殺に関する様々な統計調査の依頼し、それらの結果が出次第、上司や同僚、厚労省の人間などを無理やり巻き込んで、過去のデータと合わせて考察をした。仲間内には、「そんなことをしたって何の意味もない」と笑われながらも、学者を募って半年で五度にわたる委員会を開きもしたのだ。一年も経たないうちに彼は、別に出世に繋がるものでも何でもなかったが、それでも形に残る一応の成果として、全国に対自殺相談窓口を設置し、さらには「対自殺ガイドライン」なるものも完成させた。その後も窓口や機関から得られる情報が、自殺者や相談者に関する最新の統計データとして定期的に彼へ送られるようにもなったのだ。彼は送られてきたそれらを全て几帳面にファイルし、自分のデスクの脇の戸棚に並べていった。そしてふと気になったときには、それを開いて眺めた。しかし、施策の実施から三年が経った頃、また新たに送られてきた統計データを眺めていたときに、いよいよ彼はあることを認めざるを得なくなってしまった。どういうわけか、施策の実施以降、自殺者数は年々増加の一途をたどっている、しかもよりにもよって、彼が文科省の人間として対策に力を入れていたはずの、「学校に通う青少年」の自殺について特に数が増加しているらしかった。具体的には、施策の実施前は三万六千九百だった年間総自殺者数が、その翌年は三万七千五百、さらにその翌年は三万七千九百へと増加――十代の自殺者数について言えば、実施前は五百三十だったのが、翌年には七百五十、その翌年には八百十へと増加しているとのことだった――たしかに自分は、「自殺をしようとしている人の命を、どうにかして少しでも救いたい」などと、純粋に考えて仕事をしたわけではない、ただそうにしたって、国民生活を支える一官僚としては、興味のあることについて統計して調べただけでは仕事としては不足だろうから、自殺対策の諸々を真面目に考案して実行したつもりだったが、まさかこれほどまでにその成果が伴わないとは――自分の無能さに打ちひしがれながらも、彼は原因を明確にするための調査を開始した。官舎から足を伸ばして、相談の行われている窓口の現場までわざわざ自ら出向いていった。そこで相談員たちの持っているガイドラインの冊子の実物を目にしたとき、彼は驚きのあまりあんぐりと口を開けてしまった。ペラペラの、計五ページのコピー冊子を手に取ると、彼は相談員に向かって、「何だこれは」と問いただした。相談員は不思議そうな顔をして、「対自殺ガイドラインですよ」と答えた。
「あなたが作ったものでしょう?」
「俺はこんなもの作っていない」
 彼は怒りと同時に、今までにないほどの恐ろしい予感にも襲われながら、冊子を持つ手をぶるぶると震わせていた。「俺が作ったものはもっと厳密で、完備なものだ」
 問い詰めているうちに、その相談員が持っていた冊子は、そこの現場責任者が上から配布されたガイドラインを難解すぎると独自判断し、勝手に簡略化したものだということが分かった。彼はますます怒りに震えた。コピー冊子を握りつぶして、「なんてことだ!」と叫んだ。
「こんなもので人の命が救えるはずがないだろう! 俺が作った本物を、原本をここに持ってこい!」
 しかし、そう言って持ってこさせた原本を見たとき、彼は再び驚きに目を剥くこととなった。その原本も、彼の作成したガイドラインとは程遠い、はじめに相談員が持っていたものと同じようなコピー冊子で、それよりは若干分厚いが、内容は粗雑極まりないものだった。彼がどんなに怒鳴っても、相談員は彼に向かって睨み返しながら、「これが貰った原本です」と言い張った。相談員が嘘を言い張る理由など見当たらない、どうやらこいつは本当のことを言っているらしい、ということで、彼は現場に原本を送付した上位組織に問い合わせてみたが、どうやらその上位組織においても、送付されたガイドラインが勝手に簡略化されているらしかった。さらに調査を続けて分かったことというのが、その上位組織に原本を送付した、そのまた上位の組織においても勝手な簡略化が行われていたらしく、さらにそのまた上位の組織においても同様――つまり彼が作成したガイドラインは、官舎から送付され、関係組織を経由して現場に行き着くまでの各ポイントにおいて、各々による非公式な内容の簡略化が繰り返されていた、ということだった。思いもよらない真実に、彼は呆然としてしまった。決してあってはならない過ちが、こんなにも繰り返されるとは――人間は同じ過ちを繰り返すというが、それは長い歴史における数十年とか数百年とかの周期の話であって、こんにも短期間に、こんなにも局所的に、同時多発的に全く同じ過ちが繰り返されることなんて、果たして現実にあってよいことなのだろうか? いくら何でも馬鹿げているのではないか? いやいや、こんなことで腐ってはいけないと思いながら、彼はガイドラインの真っ当な運用を目指そうとしたが、ここでもまた予期しない壁が立ちはだかった。今回の、ガイドラインが勝手に簡略化されていた件を問題視したうえで改めてその正確な運用を実行するには、まず二十一部にも及ぶ書類を作成し、それぞれに十一人の上司からの印鑑をもらい、数多の会議、委員会を経て承認を受け、前例における処分を決定し、予算を組み直し、新たに担当を決める必要がある、結局、それらを終えて現場窓口が再度動き出すようになるまでには、最低でも五年と半年はかかるとのことだった――どうしようもない現実に対して為す術もなく、彼がただ呆けたように自分のデスクに着いていると、隣にいた同僚が、「余計なことをするからさ」と笑いかけてきた。
「ここでは、何もしない人間の方が賢いってことだよ」
 このときから再び、彼の中で自身の過去の記憶が薄れ始めた。過去と未来を切り離すことは出来ないはずだった。過去を失うことは共に未来を失うことだったが、彼は彼の中で記憶が失われていくのを受け入れざるを得なかった。形だけではあったが、ガイドラインを完成させていた彼は少なからず役職上で昇進していた。与えられた書類たちを眺め、それにひたすら印鑑を押していく、というような作業を日々淡々とこなしていった。このときの彼はもはや、諦めを以って全てを受け入れていた。こうやって自分は消費され続け、使い物にならなくなったところで、やがてどこかへ放られるに違いない――しかしありがたいことに、そういった日々は永遠に続くわけではなかった。ある日のことだった。長い間、その存在についての記憶すら彼の頭からは消え去ってしまっていた、彼の弟と再会したのだ。弟は、彼にとっては見覚えのない黒縁の眼鏡をかけていた。
「兄さん、久しぶりだね」
 弟はひょろひょろと背が伸び、確かに大人になってはいたが、しかし腹の底の根本のところは子供の頃と何も変わってはいないようだった。久しぶりに再会したそのときも弟は相変わらず、何かを企んでいるように口元を歪める懐かしい形で、兄に対する変わらぬ親しみを込めながら笑っていた。自分の人生にすっかり打ちのめされてしまった兄を労わるような、柔らかな口調で弟は言った。
「つまらない事ばかりさせられて、ずいぶんと疲れているようだね」
 その言葉を聞き、彼は思わず目の奥がじんわりと熱くなってしまった。いつの間にか彼ももう年齢としては三十代になっていたが、子供のように服の袖で目を擦って涙をなんとかごまかした。弟はその兄の様子を、幼い頃を共にした仲間として相応しいような視線で見守りながら言った。
「さぁ、兄さん、いよいよだ」
「いよいよって――一体何のことさ」
 弟は目を丸くして驚いた。「そんなの決まってるじゃないか!」それから目の前の、しおれている兄を励ますようにして言った。
「もちろん、人間も光合成を出来るようにするんだよ!」

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