被害が齎す差別~認知症は罪では無い~
池袋暴走死亡事故以前今程認知症に対する意識は低く、法的規制も今ほど厳しくも無く余り報道もされなかった。
池袋暴走死亡事故以降認知症に対する意識は高くなり、法的規制も生まれ加熱とも思える報道合戦が行われている。
日本人は誰かが犠牲にならないと重い腰を挙げぬ民族、特に刑事罰に関しては誰かの犠牲無く法改正は稀である。
其迄見向きもしなかった出来事に対して衆人環視となり、其迄見過ごしてきた事に厳しい意見や批判がなされる。
一方で全く無関係な人達が軽度の認知症と言うだけで言われなき差別を受け、法的にも行動を拘束される。
これまで自由に行動出来ていた事に対して周りの目も厳しくなり家から出るなと半ば強制的に軟禁される。
認知症を患う人の無自覚事故により命を奪わた方々は認知症を憎み認知症患者の些細な身勝手にも目をつり上げる、其れは理解を示さなくもないが被害者でない者達迄も同調し、半ば高齢者を社会から排除しようとする考えは日本国憲法における基本的人権違反ともなり得る。
特に田舎においては車はいわば人の足と同じである、公共交通機関が都会と比べ不十分であり尚且つ立地条件も都会と比べて劣悪で買い物一つにも不便を通り越し、ほぼ不可能と言える状態にある。
通販や宅配サービスという選択肢もあるだろうが、やはり実際にその目で見て買い物をしたい人もいる。
然し福祉タクシー券を使っても交通費は馬鹿にならぬ、田舎はタクシーを捕まえるのにも都会より一苦労である。
医者は自らの職務を全うする事にのみ終始して、その診断が齎す様々な困難について何も理解していない。
認知症と診断された日からあらゆる生活が一変する。
高齢者はその劇的な生活変化についていけず違法と知りつつ車の運転をしてしまう。
人間は多細胞生物故に急激な変化に弱い、まして恒例になり細胞自体が劣化している上に更に追い打ちをかけるようにストレスを加えれば、簡単に死に至る、そういうことも政府は理解していない。
悪いのは病であり病に侵された人では無い、それを社会は認知症患者こそ社会悪であるかのように断じて方々の人権を汚し奪い而も賞賛すら得ている。
これは一種のファシズムであり許されざる蛮行である、私は認知症を患う母を持つ身として今後もこの間違った社会認識を正すべく戦っていく所存である。
認知症患者は犯罪者では無い。
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