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若い人たちと議論する #未来のためにできること

私は未来が心配だ。人口減少・高齢化、地球沸騰化、経済の低成長、インフレ、格差拡大などの多くの課題が待ち受けるが、問題はそこではない。心配なのは、政治の、国民の、これらの課題への取組み姿勢であり、熱量である。

日本は、1980年代以降、経済の活性化、制度の公平・公正性の確保、官民癒着の排除、公的支出の無駄削減など様々な観点から、規制・制度改革、行財政改革に取り組んできた。これらに一貫するのは、「官から民へ」、「公平・中立・簡素」、「自律と自己責任」、「効率的な政府」といった思想であり、政府と民間が連携しつつも、一定の距離感・緊張感を保ちつつ、互いに改革を進めていこうという情熱である。

ところが、民主党政権後の自公政権は、方針を一変させた(としか私には思えない)。長期ビジョンを立て、あるべき姿に向けて改革を進めるという政策から、選挙第一、二度と野党には戻らない、という政策に転換したのである。それは、「株価重視」、「支持率重視」、「目先の成果重視」を基本とする。

その典型が、大胆な金融緩和と毎年編成される大規模な補正予算だ。量的緩和で株価を維持し、景気後退による需要落ち込みには、国債頼みの補正予算で対処する。成長戦略は打ち出すが、国民の反発を招くような制度の効率化、雇用の流動化などの抜本改革には踏み込まない。だから、借金は累増し、経済構造は変わらず、ゾンビ企業は生き延びる。

今年の夏の猛暑で、誰もが地球沸騰化を実感したはずだ。CO2排出量を減らすには、排出量削減に貢献する商品は少し高くても使うなど、それに伴うコストを国民が負担せねばらならい。しかし、負担の議論はあまり聞かれない。

政治は選挙を心配して、国民の声に耳を傾けるといいながら世論に忖度し、国民は困れば政治を頼る。マスコミは枝葉末節な政府叩きに走り、国民から嫌われる議論を避ける。これでは、困難への挑戦は行われず、新しいものは生まれない。

解のないなか、何とか進んでいくことを「マドルスルー」といい、イギリスにはこれを楽しむ伝統があったという。困難な目標に向かってマドルスルーすることを冒険として楽しむ、くらいの勇気、情熱、心の余裕を持たなければ、未来を切り開くことはできない。

機会を見つけては、そんなことを、若い世代の人たちと議論している。
それが高齢者になった私が未来のためにできることである。

#未来のためにできること


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