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定年まで務め上げることだけが立派なことなのか?

教員として務めて2年目のとき、当時学年主任だった女性の先生が定年退職した。

初めての担任、初めての中3の担任としての受験指導、初めての修学旅行。

まったく頼りがいのない、ペーペーの初任者の私を、中2、中3の担任としてたくさん指導してくれ、もちあげてくれた学年主任だった。

厳しくも優しくあり、本当に尊敬していた。

同じ女性であり、教員生活の中で結婚・出産・育休、大きな病気をして長期入院を経験していた学年主任。

初任の頃の私は、本当に慣れない毎日で、多忙な毎日で、こんな生活定年まで絶対に続けられない、と思っていたから、定年まで勤め上げた主任のことを、心からすごいと思ったし、敬意の気持ちだった。

大学を卒業して、一つの職業で60歳まで務める。

特に学校教員はそうやって一度教員になったら、定年までずっと学校で務める人が多いかもしれない。

今は私も30代で退職をしたし、周りにも多くの若者が退職をしているので、だんだん珍しいものでもなくなってきたのだが、それでもやっぱり、最後まで続けることが「すごい、立派だ」と思う人が多いのではないだろうか。

これは「教員が」というより、日本社会において、一つの会社で勤め上げることが「素晴らしい」という風潮があるような気がする。

とはいえ、現在は一般企業は「年功序列」のスタイルがだんだん薄れてきているから、長く同じ場所に務めるメリットはそんなに多くなくなってきた。

しかし、教員はまだまだ「年功序列」だから、年齢があがるにつれ、給料があがっていく。だからこそ、教育に対して熱意がなくなっても、学校にい続けるわけだ。

お金の面でメリットがあるからだ。

昔、カナダに仕事で行かせてもらったときに、そこで務める現地の人たちと転職の話になった。

今私がここに書いているように、「日本は多くの人が一つの会社で勤め上げるし、それがすごいと思う風潮がある」ということを話したら、

カナダでは、年齢で給料が決まるわけではないから、同じ場所に長くいても給料はあがらない。だから、みんな転職するのが当たり前だ。

という話を聞いた。

もちろん、仕事を探すことは大変かもしれないけど、私はそんな社会の雰囲気が羨ましいなと思った。

仕事を通して、多くの経験ができる。いろいろなことに挑戦できる。なんだかすごく「自由でいいな」と思った。

もし大学進学をしていたら、就職は22歳。

22歳で生涯の職場を決定する、そこで60歳まで務める。

もちろん、最初からいきなり天職に就けるかもしれないし、自分が好きなことをずっとそこでできるかもしれない。

だったら、ずっと続ければいいと思う。

冒頭で話した学年主任は、教師として、子どもたちのために尽力する、退職した今も教育に関わることをしているほど、素晴らしい先生であったし、本人もいやいや続けていたわけではない。

しかし、多くの人は、22歳の選択がミスマッチだったもと気づく可能性があるし、そうなったときなんとなく辞めにくい、辞めるとしても労力がいる、再就職が難しい、などの壁があると、

違うことに挑戦しようと思ってもなかなか難しいことである。

「難しい」というのが、日本の現状なんだと思う。

私は、海外のように、教員でも誰でも自由に、途中で仕事を変えてもいいと思うし、辞めた後に辞めた先生たちが、いろいろな場所で活躍できる雰囲気がもっとあればいいなと思う。

転職が当たり前の世の中、仕事を変えても新しい場所で活躍する姿がかっこいい!

一つの場所で務めあげることは確かにすごいけど、それだけが立派ではない、転職もいいんだよ、という考えがもっと浸透すればいいなと思う。


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