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127. 世の中の人は何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る〜坂本龍馬〜

みなさんこんにちは。


今回は、みなさんご存知、幕末の志士で海上貿易の海援隊を組織した坂本龍馬さんの格言について紹介します。


坂本龍馬とは

1835年、今の高知県高知市に次男として生まれました。

21歳年上の兄と、3人の姉がいました。

坂本家の本家は才谷屋という商家の分家で、
武士階級の上士と下士の下士の家でしたが、分家の際に才谷屋から多額の財産を分与されていたため、裕福な家庭でした。


12歳から楠山塾に通っていましたが、上士の子との喧嘩により父が喧嘩両成敗として、すぐに辞めさせたと言われています。

この年に母が亡くなり、2番目の母に教育を受け、
その母の最初の嫁ぎ先の川島家へよく遊びにいき、世界の話を聞いていました。

14歳には日根野道場へ入門し、小栗流の剣術を習い始め、あっという間に力をつけていき、19歳で江戸へ剣術修行に出かけました。

1853年に土佐を出立し、江戸三大道場の北辰一刀流、千葉定吉道場へ入門しました。

その年に黒船4隻でペリーが来航し、龍馬も品川の沿岸警備に参加しました。

父に宛てた手紙では、「もし戦争になれば異国の首を討ち取って土佐へ帰ります。」と攘夷思想がありましたが、
1年後に修行を終えて帰る頃には河田小龍に出会い、世界と対等に付き合うには大きな船とそれを動かせる人材が必要だと、攘夷の教えが間違いだと気づきました。

小龍はアメリカか11年ぶりに帰ってきたジョン万次郎の話を「漂巽記略」にまとめた外国の事情に詳しい数少ない人でした。


1861年、親戚で親友の武市瑞山の率いる土佐勤王党に加盟し、
翌年密書を持って萩の久坂玄瑞の元へ行き、
今は大名も公卿も頼りにならないため、これからは志のある人々が立ち上がらなければならないと教えられ、
その翌月に脱藩しました。

1862年、江戸へ出て幕府の軍艦奉行並の勝海舟の弟子となり、
勝が幕府から大阪湾周辺の海防を命じられ神戸に海軍操練所を建設し、
龍馬も同行しており併設していた勝の私塾で勝の片腕として働きながら海軍の修行に励みました。


1864年京都で池田屋の変が起こり、池田屋に集まる過激な尊王攘夷の志士たちが新撰組の近藤勇によって一掃され、
この中に操練所からの参加者がおり、
禁門の変が起こった時にも長州藩側に操練所の生徒がいたため、
幕府の怒りを買い、勝が江戸へ戻されたため、操練所と勝塾が閉鎖になります。

龍馬たち脱藩浪人は行き場がなくなりますが、
薩摩藩の庇護下で長崎で亀山社中という商社を作りました。

亀山社中は、海運業、海軍、航海術の修行機関など様々なことをしており、
各藩の脱藩浪人が中心にしていました。

1866年、この組織を使って、当時仲の悪かった薩摩藩と長州藩の薩長同盟を成功させました。

幕府に対抗できる勢力ができたことにより、これを画策した龍馬は幕府から危険人物としてマークされました。


1866年幕長戦争が起こり、亀山社中は長州藩を助けるために薩摩藩名義で購入したユニオン号で参戦し、
北海道の開拓や竹島の開拓を考えたり、経済人としての本領も発揮しました。

この時、土佐藩に目を付けられ、薩摩藩と長州藩に遅れを取っていたため、
土佐藩の実権を握っていた後藤と会談を行い、
倒幕を企てる龍馬は土佐藩を引き込むのは有利と考え、土佐藩に復帰しました。

そして亀山社中は海援隊と名前を変え、土佐藩の組織になり、海援隊の隊長になりました。


薩摩藩と長州藩が武力討幕を考え始め、
土佐藩は武力討幕を避けたかったため、
龍馬は頼られたため、後藤に大政奉還を盛り込んだ8つの策を提案しました。

これが船中八策と言われ、15代将軍徳川慶喜に大政奉還を建白し、
10月に政権を朝廷に奉還しました。


世の中の人は何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る

たとえ世の中の人がどう言おうとも、自分が成すことは自分が必ずやり遂げるという意志が見えます。

たとえ周りの人から批判や反対をされても、自分がやると決めていれば必ずやり遂げると決めているからこその言葉だと感じます。

龍馬も色んな人との出会いを通じて、世界がどうであるかを自身が学び、
では自分はどうしていくかを考えながら実行に移してきています。

世の中がどうすれば良くなるか、そのためにどうすべきかを考えて、
そのための努力をしてきたからこその言葉だと感じます。


最後に

今回は、幕末の志士で海上貿易の海援隊を組織した坂本龍馬さんの格言について紹介してきました。

自身が様々な人から学んできたことから、
世の中をどうしていくかを考えて、行動にしてきています。

そうやって、世の中からも批判や反対を数多く受けていても、
どうしていきたいかからやるべきことをやってきた人はかっこいいなと思っています。


自身もそんなかっこいい人になるために、
こうと決めたらやり抜く人になろうと思います。


それではまたどこかで。

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