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国内外来種カブトムシの幼虫発掘体験

 ~幼虫里親プロジェクト~

数年間に実施した小学校での出前授業の実施報告です。
北海道では国内外来種であるカブトムシが多数生息しています。カブトムシの幼虫を小学校に土ごと持ち込み、子どもたちに幼虫発掘体験からカブトムシが外来種であることを学ぶ授業を試験的に実施したことがあります。

幼虫は、学校で、逃がさず、増やさず、最後まで飼育することを子どもたちと約束し、飼育させました(万一、逃げることを想定し、採集地と同じ地域の学校で実施しました)。
本来、駆除せざるを得ない外来種を、せめて、現時点でできる防除の一手として、野外から採集し、人間の管理下に置くことが目的です。

外来種対策は、駆除だけが正解の解決策ではないと私は思っています。
駆除せずに済む道があるなら、命を奪う必要はないのです。
子どもたちには、大人でも解決できていない外来種問題を命の問題という視点から、どうすればこの問題がなくなるかを考えてもらう授業となりました。

子ども達から教わったこと

以前、外来種についてなど、子どもに教える必要はない、という意見を言われたことが、少しひっかかっていました。
私が子どもたちに、外来種教育を始めたきっかけは、前職の学芸員で予算のかからないソフト事業しかできなかったことや、地域にアライグマの被害が多かったため、外来種について子どもたちに伝えようと、漠然と始めたことでした。しかし、始めてみると、デリケートで正解のない、非常に難しい教育であることが分かってきました。そして、大人が発想もしないような回答が子ども達から出てくるという驚きに、私自身の「外来種教育」の在り方の答えが少しずつ出てきました。

例えば、知識という理論では人間は行動しないということ。私が子ども達に伝えられるのは、知識でしたが、知識を伝えるだけでは、「外来種教育」はダメだということにも、子ども達から気づかされました。人間は、知識という理論だけでは動かず、むしろ「感情」で動くことの方が多いです。だけど「可哀想」という感情論だけではダメで、やはり知識や理論も必要なのです。つまり、「理論と感情の両輪」が必要だということに気が付かされました。

子ども達に知識を伝えつつ、命が駆除などで奪われる生き物たちが「可哀想」という感情を如何に子ども達に伝えられるか?そこが重要だということに、子ども達から教わっていく自分がいました。知識があり、「可哀想」という心があれば、人間は、生き物を捨てないと思います。最後は知識ではなく、感情なのです。

幼さという存在が内包している希望

また、ある研究者からは『何かを集団から、排除するということは、教育としては、本来あってはならないことで、外来種教育は危険な教育でもある』と指摘されたことが、ずっと頭に引っかかっていました。手探りの中、少しでも子どもたちに、私の授業を受けて、良かったと思ってもらえるよう、努力しているつもりでした。

私が子どもたちに、外来種について語りかけている本心は何なのだろうかと悩みました。教育というアプローチから、外来種問題を解決したい、という目的はありました。しかし、外来種教育は、子どもたちにはいらない、と言われたとき、私自身の目的(動機)は何なのか?と問われた気がしました。

おそらく、子どもたちに「希望」を持っているからだと思います。幼い子どもたちが、真剣なまなざしで私の話に耳を傾けてくれて、自分たちで、一生懸命に答えを考えてくれること。正解の答えが出なくてもいい。幼さという存在そのものが内包している希望に向かって、自分の持てる力で、何かを伝えていきたい。それが私の動機であり、やりがいなんだなと思っています。
※上記の子どもたちの写真は、「室蘭民報社2015年5月13日より転載」のもので、室蘭民報社より提供して頂いたもの。

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