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生物学的に見た虐待

近年、児童虐待が大きな社会問題となっています。私は虐待の被害当事者(虐待サバイバー)でもあり、大学・大学院時代は野生動物を専門に学んできた人間です。そうした経緯から、虐待問題について、生物学的観点から少し考えてみたいと思います。

虐待は、人間だけの特殊な現象ではなく、野生動物の世界でも普通にあるものです。例えば、昔から有名なライオンやヒョウの子殺しという行為が知られています。オスが新しい縄張りを奪ったときに発生し、血縁関係のない子どもが新しいオスに殺されるという現象は、昔から報告されてます。野生動物の世界では、子殺しには合理的な理由があると言われています。新しいオスによって子を殺されて失った母親が発情し、オスにとって交尾の機会が増えるという利点が生まれます。オスは生物として自分の遺伝子を残すことを最優先とするなら、前の縄張りのオスの子育ては遺伝子を残す上で障害となるからです。
 人間の虐待でも重度虐待や虐待死に至る虐待で多いのは、義父が養女を虐待するケースです。2018年3月に、東京の目黒区で起きた船戸結愛ちゃんを殺害した父親も、義父でした。

 実父と義父とどちらが虐待が多いか?というと割合としては実父(34.5%)の方が義父(6.3%)より多いと報告されていますが、

そもそも、実父の絶対数が義父より圧倒的に多い中で、義父の虐待の方が実際は多いのではないかと推察されます。実父と義父のどちらが虐待が多いかを比較するならば、絶対値ではなく相対値(父親の全体数に対する実父の数と義父の数を算出)で比較しなければ比較ができません。ニュースを見てても、義父から子どもが虐待や殺害される子どもの事件は多いように感じます。
 野生動物も、育児放棄(ネグレクト)を起こします。親が子どもを育てられない餓死(貧困)に近づいたとき、親は子育てを放棄する事例はこれまで数多く報告されています。いったん、子育てを放棄してでも、次の繁殖で自分の遺伝子を残した方が、生物として遺伝的には有利だからです。
 生命は、自分の意思とは無関係に自分の遺伝子を残すよう働きます。
 虐待は、人間社会側にも問題(貧困や孤立、虐待の連鎖などの虐待が起きる背景)がありますが、そもそも人間が生物である以上、虐待という行為が遺伝子に組み込まれているものなのではないか?と思うのです。
 だから、虐待する親を世間もマスコミもサイコパスとか、異常者だとか特殊な人間だと思い込んでるけど、実際、誰しも起こしうる(条件がそろうと発動してしまう)、遺伝子にプログラミングされてるものなのではないか?というのが私の個人的な仮説です。

 同じように、進化生物学的に適応的意義がないものは淘汰されていくと考えると、いじめなどの社会問題も、意外と生物学的意味があるのかもしれません。生存に何かしら有利に働く行動の1つにいじめがあったとしたら、昔からいじめをなくそうと道徳教育で説いても大人も子どももなくならない(子どもなんて教わってないのにいじめます)のは、生物としての何かしらの適応的意義があるのかもしれません。

 道徳教育はとても大切です。しかし、これまで道徳で対策をしてきても虐待もいじめもなくならない(効果が薄い)のは、むしろ道徳よりも、人間が虐待やいじめを起こさない社会構造(環境条件)は何かを探り、その仕組みを社会で作り上げてしまった方が対策効果は高いのかもしれません。
 今後、人の研究者と動物の研究者が分断しないで学際的に交流していくことが、虐待問題を科学的に解明し、新たな対策に繋げることができる可能性が隠されているかもしれません。

虐待の後遺症については、以下の書籍に詳しく描いています。精神科医の和田秀樹氏の監修・対談付き。


虐待の被害当事者として、社会に虐待問題がなぜ起きるのか?また、大人になって虐待の後遺症(複雑性PTSD、解離性同一性障害、愛着障害など多数の精神障害)に苦しむ当事者が多い実態を世の中に啓発していきます!活動資金として、サポートして頂ければありがたいです!!