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タイマイ(海亀)の哀しい運命

リサイクル品(骨董品)が趣味な私は、リサイクルショップ巡りをたまにやる。そうした中、哀しい現実を目の当たりにしている。
 平成5年4月に「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(種の保存法)が施行された。種の保存法では、国内に生息・生育する、又は、外国産の希少な野生生物を保全するために必要な措置を定めている。
 この法律の中には、「生きた野生生物」だけでなく、個体の加工品、つまり「剥製や標本」もその対象に含まれている
 こうした生体、加工品の中で、国内希少野生動植物種と国際希少野生動植物種に指定されているものについては、販売・頒布目的の陳列・広告と、譲渡し等(あげる、売る、貸す、もらう、買う、借りる)は原則として禁止されている。例外的に譲渡等が認められる場合として、環境大臣の許可を受けたもの、大学や博物館等が所定の届出を提出したもの、等がある。

 古くからべっ甲文化のあった日本は、海亀の中でも特にタイマイという種を捕獲し、装飾品など加工品にしていた。それだけでなく、自宅にキジなどの剥製を展示することが一般的だった昭和の時代、タイマイ(海亀)の剥製も一般家庭で展示品として広く流通していた時代があった。

 しかし、剥製などを家に飾らなくなった現代において、多くの高齢の方が、自宅にあるタイマイの剥製を手放したい場合、種の保存法で「譲渡」も禁じられているため、安易に人に譲ったり、リサイクルショップに売ることも違法となる事態が生じているのだ。
 この法律を知らない人も多く、警察官でも知らない方がほとんどといった実態だが、違法でリサイクルショップに売ることに罰金があると知った一般人の大半は、タイマイの剥製をゴミとして捨てている。環境省から許可書を取れば譲渡が可能になる場合もあるが、手数料(5000円ほど)がかかる上、申請書も細かく面倒で、一般人がわざわざそこまでするメリットがないのだ。

 しかも、昭和時代に購入した剥製は、個体の採集地も、捕獲され剥製にされた年代などの基礎的なデータも何も判らない場合が多く、それを環境省に登録となると、嘘のデータで登録をするしかなくなる。こうして一般人の多くは、家に古くからあるタイマイの剥製をゴミとして破棄してしまってしまっている哀しい実態がある。

 リサイクルショップ側も、タイマイの剥製などいまどき買う人はそうそういないことから、売れない商品として、入手しても破棄することが多いと聞く。
どんな法律にも欠陥は必ずあるし、決して、環境省を批判をしていているわけではないのだが、どうしたらいいものか?といつも哀しい現状に出くわす場面が多い。

 剥製といっても、学術標本として後世に博物館などできちんと残していれば、DNAや形態学的情報など、将来的にタイマイの生態情報がたくさん判る可能性がある。科学技術がもっと進歩すれば、剥製から判明する新たな研究結果も生まれるだろう。しかし、ゴミとして破棄してしまえば、そうした<未来の科学的知見>を人類は、自ら捨てていることになる。剥製などの標本から、生きていた頃の生態情報が判れば、絶滅が危惧されている野生動物の保全対策にも役立つ情報として非常に有効なものとなる。それだけ、剥製や骨の標本、スキン(毛皮)標本というのは、学術価値が高いものなのだ。

 しかし、日本の博物学の文化は立場が非常に弱い。国が剥製や骨の標本など、今すぐに役に立たないものは、その価値を軽視し、基礎研究の発展を軽んじているからだ。日本で最も大きい国立博物館でも収蔵庫のスペースに限界があり、タイマイに限らず、すべての剥製や骨の標本を保存することがすでに不可能な実態がある。日本は、国がそこに予算を投じないのだ。欧米の博物館の収蔵庫のスペースとは、比較にならないほど日本の国立博物館の収蔵庫は規模が小さい。

 これだけ貧困者が増えた昨今の日本において、まずは人間の福祉の向上に国は予算を投じるべきという考えは私も賛同だ。しかし、だからといって、「文化」を軽んじてよいというものではないと私は思う。「文化」とは、人の心の栄養である。病んだ人の多いこの国で、「人の福祉の向上」と「基礎研究や文化を重んじる」ことは、決して、対立するものではないと私個人は考える。
タイマイの写真はwikipediaより

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