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2. 先生だからなんでも知ってなきゃ〜!笑

現在大学2年生で塾講2年目の私が、昨年度、いわゆる新人の頃を振り返ってみてのお話。

昨年度、私が担当してた中1国語のクラスは4人。
授業中はおしゃべりがない子たちで、それ故に質問も出づらいクラスでした。

文章解説後、質問ある?とか、わからない言葉ある?と聞いても何も出てこないことの方が多く、生徒たちがどこまで分かってて、逆にどこから分かっていないのかが測りづらかった。

授業準備では、生徒から出るかもしれない質問を予想して、もし出たら答えられるように、出なかったらこちらから投げかけられるようにしていたけれど、1年間を通して私が欲しい質問が出たことはあんまりなかったな…。笑
だから結局、生徒からの質問タイム、というよりは私からの確認問題的なものになってしまっていた。

まぁ質問を出すのは難しいから、せめて私の話聞けてはいるかな?ということが分かるように、本文の問題になっていないけど過去に触れている部分を問いかけるようにしました。
「本文のここ、なんでこの接続語が入るの?」
「この言葉の意味わかる?」
などなど。

けれどそれが仇となってしまった。

あたかも私が本文の内容を全部把握しているかのように見えたらしい。

これが失敗だと気付いたのは、生徒からの何気ない一言。

生徒と社会の一問一答のテストやっている最中、私があまり詳しくない範囲の説明を求められたことがあった。
曖昧な知識を伝えるのは良くないと思い、
「ん〜ごめん私もわかんないや、社会の先生に聞いて!」と言うと、生徒が

先生なんだから全部わかんなきゃダメですよ〜!笑」

……!?


その場では、笑って取り繕ったけど、正直グサッと刺さった。


帰り道、思考を巡らす。

私そんな万能に見えた!?いやいやそんなわけ…
先生って担当教科以外も全部教えられるようにするべき?たしかに小学校の先生は5教科教えるもんな…
私も中学の頃一度やってる内容だし、やっぱ全部答えられた方がいいのかな……。

そんなに考え込んでしまうような出来事ではないという自覚はあって、塾の他の先生方には相談せず、数日は一人で悶々とした。

今考えれば全然大したことじゃないんだけど、あの時の私はなんでも完璧にやろうとしすぎてたんだなぁ。

結局、そりゃ私にも分からないことくらいあるよね!ってところに落ち着いて、それ以来、"完璧に準備された授業"を提供するのはやめた。
そもそも、生徒にたくさん考えてもらいたいから質問を出して欲しいわけなので、私が喋る時間よりも生徒が考える時間を増やすように努力した。

もし生徒から質問が出たら都度その場で調べる!知らなかったら知らないっていう!私も知りたいから、○○ちゃん/くん調べて明日私にも教えて!
って。

"先生らしく"をやめたことで、前よりも生徒との距離が近くなって、より素の自分を出せるようになった気がします。

私にとっても、一つ学びとなった出来事でした。

知らないことがあるよりも、(ちょっとスケールが大きくなるけど)世の中の全てを知った気でいる方が浅はかなことで、自分には到底できっこない。

それを人に求めるのも間違ってるよね。
(中学生の学習範囲に限ったらできないことではないかもしれないけれど。)

ソクラテスも言うじゃんね、無知の知って。

知らないことがあるのは当たり前。

それを知ってるのはえらいことだと思うし、その上でもっと知識を増やそうって行動できる人が成長していくんだろうな。

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